VIGYAN BHAIRAV TANTRA 技法 64

強い感情の始めに、覚醒する

タントラ秘法の書E
『和尚講話録:覚醒の深みへ』
から抜粋

-64-

くしゃみの出始め、恐怖の中、悩みの中、
断崖の上、戦場での疾駆、極度の好奇心の中、
空腹の始め、空腹の終わりに――絶えず覚醒を保つ。


 このスートラは言う、

 恐怖の中、悩みの中……。

 悩みを感じるとき、悩みにさいなまれているとき、試してごらん。ではどうすればいいのか。普通、悩みがあるとき、あなたはどうするか。あなたはそれを解決しようとする。あれこれ試し、ますますその中に巻き込まれてしまう。そして混乱状態はいっそう大きくなる。なぜなら思考を通じては悩みは解決できないからだ。悩みは思考を通じて解決できないが、そのわけは、思考そのものが一種の悩みだからだ。だから悩みは増大するばかりだ。思考を通じて悩みから脱出するのは不可能だ。ますますその深みにはまってしまう。この技法いわく、悩みに対して何もせず、ただ覚醒を保つのだ。ただ覚醒を保つ!

 禅師・睦州(ぼくじゅう)にこんな古い逸話がある。彼はひとりで洞穴に住んでいた。たったひとりでだ。ところが日中、あるいは夜間でさえも、ときどき声高に「睦州」と呼ぶ――自分自身の名前をだ。そして、「おう、ここにいるぞ」と言う。でもそこには彼以外誰もいない。そこで弟子たちはよく尋ねたものだ、「なぜ『睦州!』と自分の名前を呼び、それから『おう、ここにいるぞ』と言うのですか」
 彼は言う、「思考の中に巻き込まれてしまったら、それに対する覚醒を思い出さないといけない。そこで『睦州!』と自分の名前を呼ぶのだ。『睦州!』と呼び、そして、『おう、ここにいるぞ』と答えると、その思考、その悩みは消え失せる」。
 でも、晩年の二、三年間は、けっして「睦州!」と名前を呼ぶことも、「おう、ここにいるぞ」と答えることもなかった。それで弟子たちは、なぜ最近それをしないのか尋ねた。
 彼は言った、「それは睦州がいつもいるからだ。睦州はいつもいる。だからその必要がない。以前、私はよく睦州を見失った。ときおり、悩みが私を捕らえ、私をすっかり曇らすと、睦州はいなくなる。そこで睦州を思い出すわけだ。すると悩みは消え去る」
 試してごらん。これはすばらしいものだ。自分の名前を使ってみる。深い悩みを感じたら、自分の名前を呼ぶ――「睦州」でも何でも、自分の名前を。そしてそれに答える、「ここにいるよ」。そしてその違いを感じてみる。悩みはなくなるだろう。少なくとも一瞬の間、雲を超えた一瞥が得られるだろう。そして、その一瞥は深くなっていく。一度、覚醒によって悩みが消失するとわかったら、自分自身と自分の内側のメカニズムを深く知っているということだ。(p31-p32)

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