タントラ秘法の書⑩ 『和尚講話録:空の哲学』から抜粋 |
このスートラが語る意識状態とは、何物にも動じない状態、超然としていられる状態だ。ではどうしたらいいか、その機会は一日じゅうある。それがこの技法のいいところだ。いつでもできる。自分が何かに乗っ取られていると気づいたら、深く息を吸ってみる。それから深く息を吐く。それから、その物を再び見る。息を吐きながら、その物を再び見る。観照者として――見物人として。一瞬間でも観照する状態に到達できたら、突然、「自分はひとりだ」と感じることができる。もう何物にも動じない。少なくともこの瞬間は、何物もあなたの中に欲求をもたらさない。 深く息を吸い、吐いてみる。いつでもいい、何かに動じそうなとき、何かに影響されそうなとき、何かによって外に引っぱり出されそうなとき、何かが自分より大切になりそうなとき……。息を吐くその短い隙間(ギャップ)の中で、その物を見ている――美しい顔や、美しい体や、美しい建物などを。息を吐き、息を吐いている間に、その物を見る。もしそれが難しく感じられたら……もし息を吐くだけでは隙間を生み出せなかったら、もうひとつやってみる。息を吐き、そして少しの間、息を吸わないでいる。息をすべて吐き出したら、停止し、息を吸わない。そしてその物を見る。息を吐き出した後、あるいは吸った後で呼吸を止めれば、もはや何物にも影響されることがない。その瞬間、橋はなくなる。橋は壊れる。呼吸がその橋だ。試してごらん。 観照の感覚が得られるのは、ほんの一瞬の間だけだろう。でもそれによって、観照というものが垣間見られる。そうすれば、それを追い求めることができる。一日じゅう、もし何かに動かされ、欲求の生じることがあったら、息を吐き、終わったところで止め、その物を見てみる。すると物はそこにあり、あなたもそこにいるが、橋はない。呼吸が橋だ。きっと突然、「自分は強力だ」と感じるだろう。「自分は強力だ」と感じれば感じるほど、あなたは強くなる。またものの影響力が低下すればするほど、よりいっそうの結晶化が感じられる。あなたは独立した「個」となっていく。そして初めて中心(センター)が出現する。その中心に移りさえすれば、世界は消え失せる。自己の中心に避難しさえすれば、世界は無力なものになる。 スートラいわく、 対象と主観の認識は、悟った者でも、悟っていない者でも同じだ。 しかし前者には偉大な点がひとつある。 それは、つねに主観的な姿勢の中にとどまり、 物事の中に失われないことだ。 悟った者は主観性の中にとどまっている――自分自身の中にとどまっている。意識に中心を据えている。要はこの主観性の中にとどまる実践をすることだ。機会あるごとにやってみる。そうした機会は、いつでもある。一瞬一瞬にその機会はある。あれやこれやがあなたを捕らえ、外に引っぱり出す……欲求や限定を押しつける。(p24-p26) |