ジニャーニ と 苦しみ
(ジニャーニは苦しまないのか、というなら)
彼は苦しむ人たちとともに苦しむ。
出来事自体が重要なのではない。
だが、生きていようと死んでいようと、身体のなかにいようと外にいようと、
彼は苦しむ人たちに対して慈悲に満ちている。
やはり、彼の本性は愛と慈悲なのだ。
彼はすべての生命とひとつであり、行為のなかでひとつであることが愛なの
だ。(p201)
ジニャーニの本性
(ジニャーニも悲しみを感じるのか、彼は苦しまないのか、というなら)
彼は苦しむ人たちとともに苦しむ。
出来事自体が重要なのではない。
だが、生きていようと死んでいようと、身体のなかにいようと外にいようと、
彼は苦しむ人たちに対して慈悲に満ちている。
やはり、彼(ジニャーニ)の本性は愛と慈悲なのだ。
彼はすべての生命とひとつであり、行為のなかでひとつであることが愛なの
だ。(p201)
ジニャーニ と 恐れ
ジニャーニに恐れるものは何もない。
だが彼は恐れている人を哀れむ。
つまるところ、生まれること、生きること、そして死ぬことは自然なことだ。
恐れることは自然ではない。
もちろん起きていることに注意は払われる。(p201)
線香の火
線香の火に燃えつきるときがくることが自然なように、身体が死ぬのは自然
なことだ。
それはまったく重要な問題ではない。
重要なことは、私は身体でもマインドでもないということだ。
私は在る。(p201)
ジニャーニ と 祈り
もちろん、死者への祈りを捧げるがいい。
それはとても彼らの意にかなうだろう。
彼らは嬉しく思う。
ジニャーニはあなたがたの祈りを必要としていない。
彼自身があなた方の祈りへの応えなのだ。(p202)
ジニャーニ と 死
(死の後、ジニャーニはどのように旅立つのか、というなら)
ジニャーニはすでに死んでいる。
あなたは彼にもう一度死ぬことを期待するのかね?(p202)
ジニャーニ の 関心
ジニャーニに重要な出来事というものはない。
誰かが最高の目的を成就したときを除いては。
そのときだけは、彼のハートも喜ぶ。
それ以外のすべてに対して彼は関心がない。
宇宙全体が彼の身体であり、すべての生命は彼の生命なのだ。
都会でひとつの電球が消えたとき、それがネットワーク全体に影響を与える
ことはない。
同じようにひとつの身体の死が全体に影響を与えることはないのだ。(p202)
全体 と 部分
(全体とは抽象的なもので、特定の存在が具体的で現実だ、というなら)
それはあなたがそう言うだけだ。
私にとってはその反対だ。
全体が現実で、部分は来ては去るものだ。
特定の存在は誕生、再誕生し、名前と形を変えていく。
ジニャーニはその変化を可能にする不変の実在なのだ。
しかし、彼はあなたに確信を与えることはできない。
それはあなた自身の体験とともにやってこなければならないのだ。
私にとってはすべてがひとつであり、すべてが同等だ。(p202)
罪や徳@
それら(罪や徳)はみな人間のつくり出した価値だ。
それらが私にどんな意味を持つというのだろう?
結果的に幸福をもたらすなら、それは徳だ。
結果的に不幸をもたらすものは罪だ。
どちらもマインドの状態だ。
私の境地はマインドの状態ではないのだ。(p202)
無関心 と 公平
私は無関心なのではない。
公平なのだ。
私には、私と私のものへの選り好みがないのだ。
かごいっぱいの土とかごいっぱいの宝石はどちらも不要なものだ。
生と死はどちらも同じことだ。(p203)
選り好み@
私は無関心なのではない。
公平なのだ。
私には、私と私のものへの選り好みがないのだ。
かごいっぱいの土とかごいっぱいの宝石はどちらも不要なものだ。
生と死はどちらも同じことだ。(p203)
最上の贈り物
「人は食物、衣服、住居、知識、愛情を与えることができるが、最上の贈り
物は悟りの福音だ」と私のグルはよく言ったものだった。
あなたの言うとおりだ。
悟りは最上の贈り物だ。
ひとたびそれを得たら、誰もそれをあなたから取り上げることはできない。(p203)
無知なる人びと
無知なる人びとにとって、彼らに理解できないことはすべて狂気なのだ。
それが何だというのだろう?
彼らは彼らのままであればいい。
私が私であることに何の益もなく、彼らが彼らであることに何の過ちもない。
至高の実在は無数の方法でそれ自身を顕現する。
果てしない数の名前と形がある。
同じ海の中にすべては立ち現れ、すべては溶けあう。
すべての源はひとつだ。(p203)
マインドの娯楽
すべての源はひとつだ。
原因と結果を探し求めることはマインドの娯楽にすぎない。
存在するもの、それは愛すべきものだ。
愛は結果ではなく、存在の基盤そのものだ。
どこへ行こうと、あなたは存在と意識と愛を見いだすだろう。
いったいどうして、何のために選り好みをするのだろうか?(p204)
存在の基盤
すべての源はひとつだ。
原因と結果を探し求めることはマインドの娯楽にすぎない。
存在するもの、それは愛すべきものだ。
愛は結果ではなく、存在の基盤そのものだ。
どこへ行こうと、あなたは存在と意識と愛を見いだすだろう。
いったいどうして、何のために選り好みをするのだろうか?(p204)
究極的な原因
すべての出来事のなかに宇宙全体が反映されている。
究極的な原因の由来を調べることは不可能だ。
因果律の概念自体はただの考え方にすぎない。
原因のない存在の出現を想像することはできない。
しかしながら、それが因果関係の存在を証明するわけではないのだ。(p204)
因果律
すべての出来事のなかに宇宙全体が反映されている。
究極的な原因の由来を調べることは不可能だ。
因果律の概念自体はただの考え方にすぎない。
原因のない存在の出現を想像することはできない。
しかしながら、それが因果関係の存在を証明するわけではないのだ。(p204)
観照の姿勢
観照の姿勢を発達させなさい。
そうすれば、あなたは無執着が制御をもたらすということを自らの体験をも
って見いだすだろう。
観照している状態は完全な力をもっている。
そこには何も受動的なことはないのだ。(p204)
新しい自己
新しい自己とは古い自己の完全な否定だ。
許容された新しさは本当の新しさではない。
それは古い自己が取った新たな態度にすぎないのだ。
真に新しい自己は古い自己を完全に抹殺する。
二つが一緒に在ることはできない。(p205)
「神」
原因なく、自我の汚れもなく、突然出現する状態を、「神」と呼ぶがいい。
種子もなく、根もなく、芽を出さず、生長せず、花も果実もない、存在のな
かに突然栄光に満ちて、神秘的で驚異的に現れる、それを「神」と呼ぶがい
い。
それはまったく予期できず、しかも必然的なもの、かぎりなく親しく、しか
ももっとも驚嘆すべきもの、すべての期待を超え、しかも絶対に確実なもの
だ。
なぜなら、それには原因がないため、障害がないからだ。
それはひとつの法のみにしたがう。
自由の法だ。
何であれ、継続性や連鎖を含み、段階から段階へと変化していくものは実在
ではありえない。
実在に発展というものはない。
実在は最終的な、完全なもので、関係性を持たないものだ。(p206)
継続性や連鎖
何であれ、継続性や連鎖を含み、段階から段階へと変化していくものは実在
ではありえない。
実在に発展というものはない。
実在は最終的な、完全なもので、関係性を持たないものだ。(p206)
実在 と 発展
何であれ、継続性や連鎖を含み、段階から段階へと変化していくものは実在
ではありえない。
実在に発展というものはない。
実在は最終的な、完全なもので、関係性を持たないものだ。(p206)
実在 と 関係性
何であれ、継続性や連鎖を含み、段階から段階へと変化していくものは実在
ではありえない。
実在に発展というものはない。
実在は最終的な、完全なもので、関係性を持たないものだ。(p206)
障害をつくり出すのを避ける
それ(実在)についてできることは何もない。
だが、あなたは障害をつくり出すのを避けることができる。
あなたのマインドがどのように存在のなかに現れたか、どのように作用する
かを見守りなさい。
マインドを見守るにつれて、あなたは見守る人としてのあなた自身を発見す
る。
あなたが動じることなく、ただ見守っているとき、あなたは見守る人の背後
にある光としてのあなた自身を見いだすだろう。
その光の源は暗く、未知のもので、それは知識の源だ。
その源のみが存在するのだ。
その源に帰りなさい。
そしてそこに永続的に在りなさい。
それは空にも、すべてに遍在するエーテルのなかにもない。
神は偉大で素晴らしきすべてだ。
私は無だ。
何ももたず、何もできない。
だが、すべては私から立ち現れる。
その源が私だ。
その根底と源泉が私なのだ。(p206-207)
背後にある光
それ(実在)についてできることは何もない。
だが、あなたは障害をつくり出すのを避けることができる。
あなたのマインドがどのように存在のなかに現れたか、どのように作用する
かを見守りなさい。
マインドを見守るにつれて、あなたは見守る人としてのあなた自身を発見す
る。
あなたが動じることなく、ただ見守っているとき、あなたは見守る人の背後
にある光としてのあなた自身を見いだすだろう。
その光の源は暗く、未知のもので、それは知識の源だ。
その源のみが存在するのだ。
その源に帰りなさい。
そしてそこに永続的に在りなさい。
それは空にも、すべてに遍在するエーテルのなかにもない。
神は偉大で素晴らしきすべてだ。
私は無だ。
何ももたず、何もできない。
だが、すべては私から立ち現れる。
その源が私だ。
その根底と源泉が私なのだ。(p206-207)
あなた自身@
それ(実在)についてできることは何もない。
だが、あなたは障害をつくり出すのを避けることができる。
あなたのマインドがどのように存在のなかに現れたか、どのように作用する
かを見守りなさい。
マインドを見守るにつれて、あなたは見守る人としてのあなた自身を発見す
る。
あなたが動じることなく、ただ見守っているとき、あなたは見守る人の背後
にある光としてのあなた自身を見いだすだろう。
その光の源は暗く、未知のもので、それは知識の源だ。
その源のみが存在するのだ。
その源に帰りなさい。
そしてそこに永続的に在りなさい。
それは空にも、すべてに遍在するエーテルのなかにもない。
神は偉大で素晴らしきすべてだ。
私は無だ。
何ももたず、何もできない。
だが、すべては私から立ち現れる。
その源が私だ。
その根底と源泉が私なのだ。(p206-207)
実在 と 爆発
実在があなたのなかで爆発するとき、あなたはそれを神の体験と呼ぶかもし
れない。
あるいは、むしろ神があなたを体験していると言えよう。
あなたが自己を知るとき、神があなたを知るのだ。
実在はひとつの過程の結果ではない。
それは爆発なのだ。
それは明らかにマインドを超えたものだ。
しかし、あなたにできることは、あなたのマインドをよく知ることだけだ。
マインドがあなたを助けるのではない。
だが、マインドを知ることで、マインドがあなたを無能にしてしまうのを避
けることができる。(p207)
神の体験
実在があなたのなかで爆発するとき、あなたはそれを神の体験と呼ぶかもし
れない。
あるいは、むしろ神があなたを体験していると言えよう。
あなたが自己を知るとき、神があなたを知るのだ。
実在はひとつの過程の結果ではない。
それは爆発なのだ。
それは明らかにマインドを超えたものだ。
しかし、あなたにできることは、あなたのマインドをよく知ることだけだ。
マインドがあなたを助けるのではない。
だが、マインドを知ることで、マインドがあなたを無能してしまうのを避け
ることができる。
あなたはとても注意深くならなければならない。
さもなければ、マインドはあなたを裏切るだろう。
それは泥棒を見守るようなものだ。
泥棒から何かを期待しているわけではない。
だが、あなたは盗まれたくはない。
同じように、マインドに対してあなたは何も期待することなく、多大な注意
を払うのだ。(p207)
マインドを知る
実在はひとつの過程の結果ではない。
それは爆発なのだ。
それは明らかにマインドを超えたものだ。
しかし、あなたにできることは、あなたのマインドをよく知ることだけだ。
マインドがあなたを助けるのではない。
だが、マインドを知ることで、マインドがあなたを無能してしまうのを避け
ることができる。
あなたはとても注意深くならなければならない。
さもなければ、マインドをはあなたを裏切るだろう。
それは泥棒を見守るようなものだ。
泥棒から何かを期待しているわけではない。
だが、あなたは盗まれたくはない。
同じように、マインドに対してあなたは何も期待することなく、多大な注意
を払うのだ。(p207)
マインド と 泥棒
実在はひとつの過程の結果ではない。
それは爆発なのだ。
それは明らかにマインドを超えたものだ。
しかし、あなたにできることは、あなたのマインドをよく知ることだけだ。
マインドがあなたを助けるのではない。
だが、マインドを知ることで、マインドがあなたを無能してしまうのを避け
ることができる。
あなたはとても注意深くならなければならない。
さもなければ、マインドはあなたを裏切るだろう。
それは泥棒を見守るようなものだ。
泥棒から何かを期待しているわけではない。
だが、あなたは盗まれたくはない。
同じように、マインドに対してあなたは何も期待することなく、多大な注意
を払うのだ。(p207)
泥棒を見守る
実在はひとつの過程の結果ではない。
それは爆発なのだ。
それは明らかにマインドを超えたものだ。
しかし、あなたにできることは、あなたのマインドをよく知ることだけだ。
マインドがあなたを助けるのではない。
だが、マインドを知ることで、マインドがあなたを無能にしてしまうのを避
けることができる。
あなたはとても注意深くならなければならない。
さもなければ、マインドはあなたを裏切るだろう。
それは泥棒を見守るようなものだ。
泥棒から何かを期待しているわけではない。
だが、あなたは盗まれたくはない。
同じように、マインドに対してあなたは何も期待することなく、多大な注意
を払うのだ。(p207)
夢を見ている@
私たちは本当の目覚めの状態に目覚めるのではない。
目覚めの状態のなかに、無知によって世界は出現し、人を目覚めた夢の世界
に連れだす。
眠りも目覚めも、ともに正しい名称ではない。
私たちは夢を見ているだけなのだ。
真実の目覚め、真実の眠りはジニャーニだけが知っている。
私たちは目覚めているという夢を見ている。
私たちは眠っているという夢を見ている。
三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。
すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
て在ることの奴隷になってしまう。
あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
ことは奴隷状態の本質なのだ。
実際には、私たちに物語はない。
私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
すべてを夢と見て、動じずにいなさい。(p207)
夢として見なす
眠りも目覚めも、ともに正しい名称ではない。
私たちは夢を見ているだけなのだ。
真実の目覚め、真実の眠りはジニャーニだけが知っている。
私たちは目覚めているという夢を見ている。
私たちは眠っているという夢を見ている。
三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。
すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
て在ることの奴隷になってしまう。
あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
ことは奴隷状態の本質なのだ。
実際には、私たちに物語はない。
私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
すべてを夢と見て、動じずにいなさい。(p207)
夢に現実性を与える
真実の目覚め、真実の眠りはジニャーニだけが知っている。
私たちは目覚めているという夢を見ている。
私たちは眠っているという夢を見ている。
三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。
すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
て在ることの奴隷になってしまう。
あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
ことは奴隷状態の本質なのだ。
実際には、私たちに物語はない。
私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
すべてを夢と見て、動じずにいなさい。(p207)
奴隷状態の本質
すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
て在ることの奴隷になってしまう。
あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
ことは奴隷状態の本質なのだ。
実際には、私たちに物語はない。
私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
すべてを夢と見て、動じずにいなさい。(p207)
物語はない
私たちは目覚めているという夢を見ている。
私たちは眠っているという夢を見ている。
三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。
すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
て在ることの奴隷になってしまう。
あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
ことは奴隷状態の本質なのだ。
実際には、私たちに物語はない。
私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
すべてを夢と見て、動じずにいなさい。(p207)
すべてを夢と見て
真実の目覚め、真実の眠りはジニャーニだけが知っている。
私たちは目覚めているという夢を見ている。
私たちは眠っているという夢を見ている。
三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。
すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
て在ることの奴隷になってしまう。
あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
ことは奴隷状態の本質なのだ。
実際には、私たちに物語はない。
私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
すべてを夢と見て、動じずにいなさい。(p207)
注意 と 自由
あなたは生き、あなたは感じ、あなたは考える。
あなたの生きること、感じること、考えることに注意を払うことで、あなた
はそれから自由になり、それらを超えていく。
あなたの人格は消え去り、観照者だけが残る。
それから、あなたは観照者をも超える。
どのようにそれが起こるのかを尋ねてはならない。
ただ、あなた自身の内面を探りなさい。(p208)
個人 と 観照者@
(個人と観照者は)どちらも意識の様式だ。
一方で、あなたは欲望し恐れる。
他方で、あなたは快楽と苦痛によって影響されず、出来事に動揺しない。
あなたはそれらが来ては去るにまかせる。(p208)
意識は輝かない
意識はそれ自体では輝かない。
それは背後にある光によって輝くのだ。
意識の夢のような性質を見た上で、意識がそのなかに現れ、存在を与えるそ
の光を見いだしなさい。
そこには意識の内容とその気づきがある。(p208)
意識 と 光
意識はそれ自体では輝かない。
それは背後にある光によって輝くのだ。
意識の夢のような性質を見た上で、意識がそのなかに現れ、存在を与えるそ
の光を見いだしなさい。
そこには意識の内容とその気づきがある。(p208)
あなたが知る者
知られるものは忘れてしまいなさい。
しかし、あなたが知る者だということは覚えていなさい。
いつまでも体験に浸っていてはいけない。
あなたはつねに不死不生であり、体験者を超えているということを覚えてお
きなさい。
それを覚えていることで、純粋な知識の質である無条件の気づきの光が出現
するだろう。(p208)
体験者を超えている
知られるものは忘れてしまいなさい。
しかし、あなたが知る者だということは覚えていなさい。
いつまでも体験に浸っていてはいけない。
あなたはつねに不死不生であり、体験者を超えているということを覚えてお
きなさい。
それを覚えていることで、純粋な知識の質である無条件の気づきの光が出現
するだろう。(p208)
実在 と 体験A
体験とは変化するものだ。
それは来ては去っていく。
実在は出来事ではなく、それを体験することもできない。
それは出来事を知覚するようには知覚できないのだ。
もし実在が出現するのを待っているなら、あなたは永遠に待たなければなら
ないだろう。
なぜなら、実在は来ることも去ることもないからだ。
それは期待されることではなく、気づくことだ。
予想して準備することではない。
だが、熱望そのものと実在の探求が、実在の動き、行為、作用なのだ。
あなたにできることは、核心を理解することだ。
実在は出来事ではなく、起こることでもない。
何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。
出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、体験は体験
として見なさい。
そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。
そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。
出来事や体験に実在性を与えていたときのような、よろいはもはやつけてい
ない。
しかし、好きや嫌いといった選り好みが入り込んだとたん、あなたは仕切を
下ろしたことになるのだ。(p208)
選り好みA
あなたにできることは、核心を理解することだ。
実在は出来事ではなく、起こることでもない。
何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。
出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、体験は体
験として見なさい。
そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。
そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。
出来事や体験に実在性を与えていたときのような、よろいはもはやつけてい
ない。
しかし、好きや嫌いといった選り好みが入り込んだとたん、あなたは仕切を
下ろしたことになるのだ。(p208)
実在の表現@
行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。
実在の表現といったものはない。
あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。
実在だけが在る。
ほかには何もない。
目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらの中にはい
ない。
私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。
グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
くように、すべては起こる。
すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
それは私の場合も同様だ。
すべては必要にしたがって起こる。
しかも、何も起こってはいないのだ。
私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
自体は架空のものだと知っているのだ。(p209)
何も起こってはいない
グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
くように、すべては起こる。
すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
それは私の場合も同様だ。
すべては必要にしたがって起こる。
しかも、何も起こってはいないのだ。
私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
自体は架空のものだと知っているのだ。(p209)
人生自体は架空
目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらの中にはい
ない。
私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。
グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
くように、すべては起こる。
すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
それは私の場合も同様だ。
すべては必要にしたがって起こる。
しかも、何も起こってはいないのだ。
私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
自体は架空のものだと知っているのだ。(p209)
ただ起こるA
グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
くように、すべては起こる。
すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
それは私の場合も同様だ。
すべては必要にしたがって起こる。
しかも、何も起こってはいないのだ。
私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
自体は架空のものだと知っているのだ。
何ひとつ私によっては為されない。
すべてはただ起こるのだ。
私は期待しないし、計画も立てない。
ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
それらが非現実だと知りながら――。(p209)
何も起こらない
(真我を実現した最初の瞬間からつねにこのようだったのか、というなら)
いつものように三つの状態は交替する。
そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
それらはただ起こる。
私には何も起こらないのだ。
そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
在―意識―至福がある。
私はつねにそのなかに在る。
いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
いのだ。(p209)
難攻不落の岩
(真我を実現した最初の瞬間からつねにこのようだったのか、というなら)
いつものように三つの状態は交替する。
そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
それらはただ起こる。
私には何も起こらないのだ。
そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
在―意識―至福がある。
私はつねにそのなかに在る。
いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
いのだ。(p209)
意識しているA
(「それでも、あなたは意識している」と言うなら)
そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
私はほとんど気がつかないほどだ。(p209)
揺るぎない平和
(私が意識しているかと言うなら)
そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
私はほとんど気がつかないほどだ。(p209)
発見はあった
(この状態が)やってくるということはない。
それはつねにそうだったのだ。
発見はあった。
そして、それは突然のものだった。
誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を
発見したのだ。(p209-210)
真我の存在
(この状態が)やってくるということはない。
それはつねにそうだったのだ。
発見はあった。
そして、それは突然のものだった。
誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を
発見したのだ。(p209-210)
実在に目覚めたなら
(この状態が永久なものか、断続的なものか、というなら)
絶対的に揺るぎのないものだ。
私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。
ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
子供は子宮のなかに戻りはしない!
それはシンプルな状態だ。
極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。
それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。(p210)
誠実な関心
もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
何も私を煩わさない。
問題が起こっても私は抵抗しない。
それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
あなたの側には、とても多くの問題がある。
私の側にはまったく問題がない。
私の側に来なさい。
あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
何であれ起こることは起こるだろう。
必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
誠実さが要なのだ。(p210)
私の言葉に頭を悩ませ
もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
何も私を煩わさない。
問題が起こっても私は抵抗しない。
それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
あなたの側には、とても多くの問題がある。
私の側にはまったく問題がない。
私の側に来なさい。
あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
何であれ起こることは起こるだろう。
必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
誠実さが要なのだ。(p210)
有効なサーダナ
もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
何も私を煩わさない。
問題が起こっても私は抵抗しない。
それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
あなたの側には、とても多くの問題がある。
私の側にはまったく問題がない。
私の側に来なさい。
あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
何であれ起こることは起こるだろう。
必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
誠実さが要なのだ。(p210)
ジニャーナ(真理の知識)@
ジニャーナ(真理の知識)特有の証拠というものはない。
無知だけが認識できる。
ジニャーナは認識できない。(p211)
ジニャーニ(賢者)@
ジニャーニは自分が何か特別な存在だとは主張しない。
自分自身の偉大さ、特別さを宣言する者はジニャーニではない。
彼らは実現に向けての何か特別な発達を実現と考え違いをしたのだ。
ジニャーニには、自分がジニャーニだと宣言しようとする意図はない。
彼は彼自身を完全に普通と考え、彼の真の本性に忠実なのだ。
自分自身を万能の、全知全能の神として宣言することは、明白なる無知のし
るしだ。(p211)
ジニャーニの言葉
ジニャーニの言葉は、マインドのなかの無知と暗闇を追い払う力を持ってい
る。
言葉ではなく、その背後にある力が重要なのだ。
(その力が何かというなら……)
真我実現の直接的体験をもとにした確信の力だ。(p211)
ジニャーナ(真理の知識)A
何の結果を期待するというのだろう?
そしてなぜジニャーナが何かの結果であるべきなのだろうか?
ひとつのことが別のことへと導いていく。
しかしジニャーナは原因と結果に縛られるようなものではない。
それは因果律を完全に超えたものなのだ。
それは真我のなかにとどまることだ。
ヨーギは多くの不思議にであうだろう。
だが真我に関して彼は無知なままだ。
ジニャーニが見、感じることは普通のことかもしれない。
だが、彼は真我を知っているのだ。(p212)
因果律 と ジニャーナ(真理の知識)
なぜジニャーナが何かの結果であるべきなのだろうか?
ひとつのことが別のことへと導いていく。
しかしジニャーナは原因と結果に縛られるようなものではない。
それは因果律を完全に超えたものなのだ。
それは真我のなかにとどまることだ。
ヨーギは多くの不思議にであうだろう。
だが真我に関して彼は無知なままだ。
ジニャーニ(覚者)が見、感じることは普通のことかもしれない。
だが、彼は真我を知っているのだ。(p212)
真我のなかにとどまること
ジニャーナ(真理の知識)は原因と結果に縛られるようなものではない。
それは因果律を完全に超えたものなのだ。
それは真我のなかにとどまることだ。
ヨーギは多くの不思議にであうだろう。
だが真我に関して彼は無知なままだ。
ジニャーニが見、感じることは普通のことかもしれない。
だが、彼は真我を知っているのだ。(p212)
探求者がまれ
もし探求者が誠実ならば、光は与えられるだろう。
光はすべてにとって、つねにそこにある。
だが、探求者がまれなのだ。
探求者のなかでも用意のできた者はたいへんまれだ。
成熟したハートとマインドが不可欠なのだ。(p212)
努力 か 恩寵 か
(真我の実現は努力によるかグルの恩寵によるかというなら)
教えが彼の恩寵で、信頼が私の努力だった。
彼への信頼が、私に彼の言葉を真実として受け入れさせ、その中に深く入っ
ていき、それを生きるようにさせたのだ。
そしてこれが、私が私で在るということを実現させたのだ。
グルの人格と言葉が、私に彼を信頼させ、そして私の信頼が実を結ばせたの
だ。(p212)
受け取る人
(グルが言葉なしで、何の準備もなく真我の実現を与えられるかというなら)
できる。
だが、どこに受け取る人がいるだろうか?
私は本当にグルと心をひとつにしていた。
まったく完全に彼を信頼し、彼への抵抗は無に等しかったため、すべてはや
さしくすばやく起こったのだ。
しかし、誰もがそのように幸運なわけではない。
怠惰と落ち着きのなさはしばしば道を阻み、それらが取り除かれるまで進展
は遅くなる。
ただグルが触れ、見、思うだけで、その場で真我を実現した人たちは、すで
に成熟していたのだ。
しかし、そのような人は本当にまれだ。
大多数は成熟するまでに、いくらかの時が必要だ。
サーダナは成熟を加速するものだ。(p212)
成熟の要因A
(何が人を成熟させるか、何が成熟の要因かというなら)
もちろん、真剣さだ。
人は本当に熱望しなければならない。
つまるところ、真我を実現した人はもっとも真剣な人だ。
何であれ彼がすることは、限界も制限もなく完全だ。
真剣さがあなたを実在へと連れていくのだ。(p213)
真剣さ
(何が人を成熟させるか、何が成熟の要因かというなら)
もちろん、真剣さだ。
人は本当に熱望しなければならない。
つまるところ、真我を実現した人はもっとも真剣な人だ。
何であれ彼がすることは、限界も制限もなく完全だ。
真剣さがあなたを実在へと連れていくのだ。(p213)
愛している
傷つけられたとき、あなたは泣く。
どうしてだろう?
なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。
あなたの愛を身体に閉じこめてはならない。
開いておきなさい。
そうすれば、それはすべてへの愛となる。
すべての偽りの自己同一化が捨て去られたとき、すべてを包容する愛が残る。
あなたに関する考えをすべてぬぐい去りなさい。
あなたが神だという考えさえも捨て去りなさい。
いかなる自己定義も正当ではない。(p213)
自己同一化 と 愛
傷つけられたとき、あなたは泣く。
どうしてだろう?
なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。
あなたの愛を身体に閉じこめてはならない。
開いておきなさい。
そうすれば、それはすべてへの愛となる。
すべての偽りの自己同一化が捨て去られたとき、すべてを包容する愛が残る。
あなたに関する考えをすべてぬぐい去りなさい。
あなたが神だという考えさえも捨て去りなさい。
いかなる自己定義も正当ではない。(p213)
愛想をつかした
(サーダナに疲れた、実在が今ここで欲しい、それはできるか?、というなら)
もちろん、できる。
あなたが本当に、あなたのサーダナも含めたすべてに愛想をつかしたと言う
のならば。
あなたが世界から何も要求せず、神からも何も求めず、何も探さず、何も期
待しないとき、至高の状態は招かずして、不意にあなたのもとへやってくる
だろう。(p213)
依存しない道
(成熟に依存せず、サーダナに依存しない道があるはずだ、というなら)
それを道と呼んではならない。
それはある種の技なのだ。
それでさえもない。
開いていて、静かで在りなさい。
あなたの探しているものは本当にあなたの近くにある。
だから、道と呼ぶにはふさわしくないのだ。(p213)
依存しない道
(成熟に依存せず、サーダナに依存しない道があるはずだ、というなら)
それを道と呼んではならない。
それはある種の技なのだ。
それでさえもない。
開いていて、静かで在りなさい。
あなたの探しているものは本当にあなたの近くにある。
だから、道と呼ぶにはふさわしくないのだ。(p213)
名前という重荷
あなたはあなたが存在することを知っている。
あなた自身の上に名前という重荷を負わせてはならない。
ただ在りなさい。
いかなるものでも名前や形を自分自身に与えることで、あなたの真の本性は
隠されてしまうのだ。(p214)
最高の欲望
真実への欲望は最高の欲望だ。
だが、それはいまだに欲望であることに変わりはない。
真実が在るためには、すべての欲望が放棄されなければならないのだ。
あなたは在る、ということを覚えていなさい。
これがあなたの仕事の資本だ。
その資本を回転させなさい。
そうすれば多大な利益を生むだろう。(p214)
仕事の資本
真実への欲望は最高の欲望だ。
だが、それはいまだに欲望であることに変わりはない。
真実が在るためには、すべての欲望が放棄されなければならないのだ。
あなたは在る、ということを覚えていなさい。
これがあなたの仕事の資本だ。
その資本を回転させなさい。
そうすれば多大な利益を生むだろう。(p214)
人生とは探求
(そもそもなぜ探求があるのか、というなら)
人生とは探求なのだ。
探求するほかないのだ。
すべての探求が終焉したとき、それが至高の状態だ。(p214)
至高の状態@
それ(至高の状態)は去来するものではない。
それは在る。
それは時間を超えた常在の状態なのだ。(p214)
死にもの狂い
あなたのマインドが実在に気づかないとき、あなたは死にもの狂いでなけれ
ばならないのだ。(p214)
放棄 と サーダナ
放棄したものはもはや重要ではない。
あなたが放棄していないものは何だろうか?
それを見つけ、放棄しなさい。
サーダナとは放棄するものを探すことだ。
あなた自身を完全に空っぽにしなさい。(p214)
成熟の要因@
(成熟の要因は何か、というなら)
自己想起、「私は在る」という気づきがあなたを強力に迅速に成熟させる。
あなた自身に関するすべての観念を捨て去りなさい。
そして、ただ在るのだ。(p215)
自己想起@
自己想起、「私は在る」という気づきがあなたを強力に迅速に成熟させる。
あなた自身に関するすべての観念を捨て去りなさい。
そして、ただ在るのだ。(p215)
特別な重要性
意識の光のなかで、ありとあらゆることが起こる。
人はそのどれにも特別な重要性を与える必要はない。
花の眺めは神のヴィジョンを見ることと同じように奇跡的なものだ。
それはそれとして放っておきなさい。
なぜ思い出し、その記憶を問題にしなければならないのか?
それを片寄りなく見ることだ。
高い低い、内側と外側、永遠と一過性を区別してはならない。
彼方へと超えていきなさい。
源に戻りなさい。
何が起ころうと変わらない自己へと向かいなさい。
あなたの弱点は、あなたが世界のなかに生まれたと確信していることだ。
実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、つねに再創造されてい
るのだ。
すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとして見なさい。
その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。(p215)
奇跡的なもの
意識の光のなかで、ありとあらゆることが起こる。
人はそのどれにも特別な重要性を与える必要はない。
花の眺めは神のヴィジョンを見ることと同じように奇跡的なものだ。
それはそれとして放っておきなさい。
なぜ思い出し、その記憶を問題にしなければならないのか?
それを片寄りなく見ることだ。
高い低い、内側と外側、永遠と一過性を区別してはならない。
彼方へと超えていきなさい。
源に戻りなさい。
何が起ころうと変わらない自己へと向かいなさい。
あなたの弱点は、あなたが世界のなかに生まれたと確信していることだ。
実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、つねに再創造されてい
るのだ。
すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとして見なさい。
その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。(p215)
源に戻りなさい
意識の光のなかで、ありとあらゆることが起こる。
人はそのどれにも特別な重要性を与える必要はない。
花の眺めは神のヴィジョンを見ることと同じように奇跡的なものだ。
それはそれとして放っておきなさい。
なぜ思い出し、その記憶を問題にしなければならないのか?
それを片寄りなく見ることだ。
高い低い、内側と外側、永遠と一過性を区別してはならない。
彼方へと超えていきなさい。
源に戻りなさい。
何が起ころうと変わらない自己へと向かいなさい。
あなたの弱点は、あなたが世界のなかに生まれたと確信していることだ。
実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、つねに再創造されてい
るのだ。
すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとして見なさい。
その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。(p215)
再創造されている
源に戻りなさい。
何が起ころうと変わらない自己へと向かいなさい。
あなたの弱点は、あなたが世界のなかに生まれたと確信していることだ。
実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、つねに再創造されてい
るのだ。
すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとして見なさい。
その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。(p215)
知るマインド
(なぜあなたが存在の源の光としての自分を知らないのか、というなら)
知るためには知る能力のあるマインド、知るマインドが必要だ。
しかしあなたのマインドはつねに走りまわり、けっして静止せず、完全に反
映しない。
目の病で視界が曇っているとき、どうして月の壮麗な姿を見ることができる
だろう?(p215)
内面を見なさい
あるがままのあなたを見なさい。
他者に聞いてはならない。
あなた自身に関して他者に言わせてはならない。
内面を見なさい。
すべての師たちが言えることはこれだけだ。
ひとりの師からほかへと渡り歩く必要はない。
すべての井戸のなかに同じ水があるのだ。
一番近い井戸から水を引くがいい。
私の場合、水は私のなかにあり、私が水なのだ。(p216)
一番近い井戸
あるがままのあなたを見なさい。
他者に聞いてはならない。
あなた自身に関して他者に言わせてはならない。
内面を見なさい。
すべての師たちが言えることはこれだけだ。
ひとりの師からほかへと渡り歩く必要はない。
すべての井戸のなかに同じ水があるのだ。
一番近い井戸から水を引くがいい。
私の場合、水は私のなかにあり、私が水なのだ。(p216)
神 と あなた@
神はあなたのマインドのなかの概念にすぎない。
あなたは事実だ。
あなたが知っているたったひとつ確かなことは、「ここに今、私は在る」と
いうことだ。
「ここと今」を取り除きなさい。
「私は在る」が確固として残る。
世界は記憶のなかに存在する。
記憶は意識のなかに現れる。
意識は気づきのなかに存在し、気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。(p217)
世界 < 記憶 < 意識 < 気づき < 存在
世界は記憶のなかに存在する。
記憶は意識のなかに現れる。
意識は気づきのなかに存在し、気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。(p217)
推測 と 習慣
もちろん、私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。
それ以外はすべて推測だ。
しかし、推測が習慣になってしまったのだ。
考えることと見ることというすべての習慣を打ち破りなさい。(p217)
顕現の根本原因
「私は在る」という感覚が顕現の根本的な原因だ。
それを自己、神、実在、あるいはほかの名で呼んでもいい。
「私は在る」は世界のなかにある。
しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。
水面に踊る月は、水のなかに見られる。
だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。(p217)
世界を出る扉
「私は在る」は世界のなかにある。
しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。
水面に踊る月は、水のなかに見られる。
だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。(p217)
水面に踊る月
「私は在る」という感覚が顕現の根本的な原因だ。
それを自己、神、実在、あるいはほかの名で呼んでもいい。
「私は在る」は世界のなかにある。
しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。
水面に踊る月は、水のなかに見られる。
だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。(p217)
絶対的実在
あなたのマインドがその上に相対的な非実在の世界を投影してきた絶対的実
在の世界は、あなたに依存していない。
その単純な理由とは、それがあなた自身だからだ。(p217)
不変なるもの
不変なるものは、何であれそれ以外の不変であるものとひとつなのだ。
なぜなら、二元性は相互作用を暗示し、相互作用は変化を意味するからだ。
言い換えれば、絶対的に物質的なものと絶対的に霊的なもの、完全に客観的
なものと完全に主観的なものは、実体においても本質においても等しいとい
うことだ。(p218)
相互作用
不変なるものは、何であれそれ以外の不変であるものとひとつなのだ。
なぜなら、二元性は相互作用を暗示し、相互作用は変化を意味するからだ。
言い換えれば、絶対的に物質的なものと絶対的に霊的なもの、完全に客観的
なものと完全に主観的なものは、実体においても本質においても等しいとい
うことだ。(p218)
投影 と 監禁
理解すべき主要な点は、あなたがあなた自身の上に欲望と恐れの記憶をもと
とした、想像の世界を投影したということだ。
そして、そのなかにあなた自身を監禁したのだ。
その魔法を解いて自由になりなさい。(p218)
非依存性
思考と行為において、あなたの非依存性を主張しなさい。
結局、すべてはあなたが見、聞き、考え、感じることが現実だと確信するあ
なた自身の信念にかかっているのだ。
なぜあなたの信念を疑わないのか?
この世界が意識のスクリーンの上に、あなたによって描かれたものだという
ことは疑いないのだ。
そして、それは完全にあなたの個人的な世界だ。
たとえ世界のなかにあろうとも、あなたの「私は在る」という感覚だけが、
世界に属さないものだ。
どのような理論や想像による努力によっても、「私は在る」を「私はいない」
に変えることはできない。
あなたの存在を否定すること自体が、あなたの存在を主張している。
ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、あなたはそれから自由だ。
あなた自身の想像のなかにしか存在しない世界から自由になる必要はない!
いかにその絵が美しくとも、あるいは醜くとも、それはあなたが描いたもの
であり、あなたはそれに束縛されないのだ。
誰もあなたにそれを押しつけてはいないということを悟りなさい。
それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。
想像を想像としてみなさい。
そして恐れから自由になるがいい。(p218)
個人的な世界
結局、すべてはあなたが見、聞き、考え、感じることが現実だと確信するあ
なた自身の信念にかかっているのだ。
なぜあなたの信念を疑わないのか?
この世界が意識のスクリーンの上に、あなたによって描かれたものだという
ことは疑いないのだ。
そして、それは完全にあなたの個人的な世界だ。
たとえ世界のなかにあろうとも、あなたの「私は在る」という感覚だけが、
世界に属さないものだ。
どのような理論や想像による努力によっても、「私は在る」を「私はいない」
に変えることはできない。
あなたの存在を否定すること自体が、あなたの存在を主張している。
ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、あなたはそれから自由だ。
あなた自身の想像のなかにしか存在しない世界から自由になる必要はない!
いかにその絵が美しくとも、あるいは醜くとも、それはあなたが描いたもの
であり、あなたはそれに束縛されないのだ。
誰もあなたにそれを押しつけてはいないということを悟りなさい。
それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。
想像を想像としてみなさい。
そして恐れから自由になるがいい。(p218)
無名無形のもの
想像なしに見ること、歪みなしに聞くことを学びなさい。
それがすべてだ。
本質的に無名無形のものに、名前や形が属すると考えることはやめなさい。
あらゆる知覚の形態は主観的なものであり、見たことや聞いたこと、触れた
ものやにおいをかいだもの、感じたことや思ったこと、期待したことや想像
したことは、すべて実在のなかではなく、マインドのなかにあるのだと悟り
なさい。
そうすれば、あなたは平安を体験し、恐れから自由になるだろう。(p219)
純粋な光
「私は在る」という感覚さえも、純粋な光の存在の感覚から成るのだ。
「在る」なしでも「私」はそこに在る。
同様に、純粋な光もあなたが「私」と言おうと言うまいと、そこに在るのだ。
その純粋な光に気づきなさい。
そうすれば、けっしてそれを失うことはない。
存在のなかの存在性、意識のなかの気づき、すべての体験への関心、それは
描写不可能でありながら、完全に入手可能なものだ。
なぜならそれ以外には何も存在しないからだ。(p219)
言葉 と 沈黙@
まずは言葉、それから沈黙だ。
沈黙のためには成熟しなければならない。(p221)
非利己的な仕事
非利己的な仕事は沈黙へと導く。
なぜなら、私利私欲なしに働くとき、あなたは助けを求める必要がない。
結果に頓着せず、もっとも不適切な方法で働くことも厭わない。
才能のあるなしや、用意が整っているかも気にせず、認められることも、援
助も求めない。
あなたはただ為すべきことを為し、成功や失敗は未知なるものに預ける。
なぜなら、すべては無数の要因によって起こり、あなたの努力は、そのなか
のひとつにすぎないからだ。
しかし、人類の意志と愛がひとつになるとき、もっとも起こりそうにないこ
とが起こる。
人のマインドとハートの魔法とはそういうものなのだ。(p221)
結果
(援助を)求める必要がどこにあるだろうか?
それはただ、弱さと不安を表しているだけだ。
働きつづけなさい。
そうすれば、宇宙はあなたとともに在るだろう。
つまるところ、正しいことをしているという考えは未知なるものからやって
くる。
結果に関するかぎりは未知なるものにゆだねるがいい。
ただ必要な行動を通り抜けるだけだ。
あなたは因果関係の長い連鎖のなかのひとつの輪にすぎないのだ。
根本的に、すべてはただマインドのなかで起こる。
あなたが何かのために全身全霊で着々と働くとき、それは起こる。
なぜなら、ものごとを起こらせることがマインドの機能だからだ。(p221)
仕事@
実際には、何の欠如も必要もない。
すべての仕事はただ表面上のものだ。
その深みには完全な平和がある。(p221)
問題A
実際には、何の欠如も必要もない。
すべての仕事はただ表面上のものだ。
その深みには完全な平和がある。
すべての問題が現れるのは、あなたが自分自身を定義し、それゆえ限定した
からだ。
あなたが自分自身をあれやこれやと考えないとき、すべての葛藤はやむ。
問題に対処しようとするいかなる試みも、失敗せざるをえない。
なぜなら、欲望によって起こったことは、欲望から自由になることによって
のみ、取り消すことができるからだ。
あなたは自分自身を時間と空間のなかに閉じこめ、一生という期間と、身体
という容積のなかに自分を押し込めてしまった。
それゆえ、生と死、快楽と苦痛、期待と恐れという無数の葛藤をつくり出し
たのだ。
幻想を放棄せずに、問題を追い払うことはできない。(p221)
個人A
個人というようなものは存在しない。
そこにはただ制限と限定があるだけだ。
それらの定義の総計が個人なのだ。
あなたが何なのかを知るとき、あなたはあなた自身を知っているかのように
考える。
しかし、あなたはけっしてあなたが誰なのかを知らないのだ。
壺のなかの空間が壺の匂いと容積と形を一見もっていると見えるように、個
人はただ現れたように見えるだけだ。
あなたはあなたが自分自身だと信じているものではないということを見抜き
なさい。
あなたとは名づけることのできる、描写可能なものだという観念に対して全
力で闘いなさい。
あなたは存在しないのだ。
あれやこれといった言葉で自分自身を思うことを拒否しなさい。
調べることなく、盲目的に受け入れることでつくり出してきた惨(みじ)め
さからの出口はほかにないのだ。
苦しみは探求への呼びかけだ。
すべての痛みは調べられることが必要なのだ。
考えることをおろそかにしてはならない。(p222)
あなた@
あなたが何なのかを知るとき、あなたはあなた自身を知っているかのように
考える。
しかし、あなたはけっしてあなたが誰なのかを知らないのだ。
壺のなかの空間が壺の匂いと容積と形を一見もっていると見えるように、個
人はただ現れたように見えるだけだ。
あなたはあなたが自分自身だと信じているものではないということを見抜き
なさい。
あなたとは名づけることのできる、描写可能なものだという観念に対して全
力で闘いなさい。
あなたは存在しないのだ。
あれやこれといった言葉で自分自身を思うことを拒否しなさい。
調べることなく、盲目的に受け入れることでつくり出してきた惨(みじ)め
さからの出口はほかにないのだ。(p222)
存在しない
あなたは存在しないのだ。
あれやこれといった言葉で自分自身を思うことを拒否しなさい。
調べることなく、盲目的に受け入れることでつくり出してきた惨(みじ)め
さからの出口はほかにないのだ。(p222)
苦しみ と 探求
あなたは存在しないのだ。
あれやこれといった言葉で自分自身を思うことを拒否しなさい。
調べることなく、盲目的に受け入れることでつくり出してきた惨(みじ)め
さからの出口はほかにないのだ。
苦しみは探求への呼びかけだ。
すべての痛みは調べられることが必要なのだ。
考えることをおろそかにしてはならない。(p222)
不必要な仕事
世界のなかで働くことは難しい。
すべての不必要な仕事をやめることは、さらに難しい。(p222)
自己改善
あなた自身について、あなたは何を知っているだろうか?
あなたは、真実あなたであるものとしてだけ在ることができる。
あなたでないものとしては、そう現れるように見えるだけだ。
あなたは完全性からけっして離れたことがない。
すべての自己改善という観念は、慣習的な、言語上のものだ。
太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。
他者を知ることで他者に成ってしまうのはマインドなのだ。
それにもかかわらず、マインドこそがほかでもない自己なのだ。
自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。
それ以外のすべては見せかけにすぎない。(p222)
太陽 と 暗闇
太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。
他者を知ることで他者に成ってしまうのはマインドなのだ。
それにもかかわらず、マインドこそがほかでもない自己なのだ。
自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。
それ以外のすべては見せかけにすぎない。(p222)
自己 と 非自己
太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。
他者を知ることで他者に成ってしまうのはマインドなのだ。
それにもかかわらず、マインドこそがほかでもない自己なのだ。
自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。
それ以外のすべては見せかけにすぎない。(p222)
見せかけ と 実在
太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。
他者を知ることで他者に成ってしまうのはマインドなのだ。
それにもかかわらず、マインドこそがほかでもない自己なのだ。
自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。
それ以外のすべては見せかけにすぎない。
雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしまうように、
見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してしまう。
実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
実在は究極の破壊者だ。
すべての分離、あらゆる疎遠や疎外は偽りだ。
すべてはひとつだ――これがあらゆる衝突の最終的な解決法なのだ。(p222)
破壊者@
雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしまうように、
見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してしまう。
実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
実在は究極の破壊者だ。
すべての分離、あらゆる疎遠や疎外は偽りだ。
すべてはひとつだ――これがあらゆる衝突の最終的な解決法なのだ。(p222)
究極の破壊者
雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしまうように、
見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してしまう。
実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
実在は究極の破壊者だ。
すべての分離、あらゆる疎遠や疎外は偽りだ。
すべてはひとつだ――これがあらゆる衝突の最終的な解決法なのだ。(p222)
すべてはひとつA
自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。
それ以外のすべては見せかけにすぎない。
雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしまうように、
見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してしまう。
実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
実在は究極の破壊者だ。
すべての分離、あらゆる疎遠や疎外は偽りだ。
すべてはひとつだ――これがあらゆる衝突の最終的な解決法なのだ。(p222)
最終的な解決法
自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。
それ以外のすべては見せかけにすぎない。
雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしまうように、
見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してしまう。
実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
実在は究極の破壊者だ。
すべての分離、あらゆる疎遠や疎外は偽りだ。
すべてはひとつだ――これがあらゆる衝突の最終的な解決法なのだ。(p222)
非人格
私たちが自分たちを他者からまったく離れた、分離した人物だと想像するか
ぎり、本質的に非人格である実在を理解することはできない。
まず私たちが次元も時間も超えた観察の中心である観照者としての私たち自
身を知らなければならない。
そしてそのとき、マインドと物質の両方であり、そのどちらをも超えた広大
無辺で純粋な覚醒の大洋を悟るのだ。(p223)
観察の中心
私たちが自分たちを他者からまったく離れた、分離した人物だと想像するか
ぎり、本質的に非人格である実在を理解することはできない。
まず私たちが次元も時間も超えた観察の中心である観照者としての私たち自
身を知らなければならない。
そしてそのとき、マインドと物質の両方であり、そのどちらをも超えた広大
無辺で純粋な覚醒の大洋を悟るのだ。(p223)
人格@
あなたの人格は身体との同一視によるものだ。
あなたの思考と感情は時間の連鎖のなかに存在し、記憶があなた自身をある
期間、存在しつづけていると想像させるのだ。
実際には、時間と空間があなたのなかに存在する。
あなたが時間と空間のなかに存在するのではない。
それらは知覚の様式だ。(p223)
私のなかに
マインドは時間と空間をつくり出し、自らの創造を実在と見なすのだ。
すべては今ここに在る。
だが、私たちはそれを見ない。
本当は私のなかに、私によってすべてが在る。
ほかには何もない。
「ほか」という考えそのものが災いなのだ。(p223)
「ほか」
マインドは時間と空間をつくり出し、自らの創造を実在と見なすのだ。
すべては今ここに在る。
だが、私たちはそれを見ない。
本当は私のなかに、私によってすべてが在る。
ほかには何もない。
「ほか」という考えそのものが災いなのだ。(p223)
分離した個人
分離した個人というようなものは存在しないのだ。
経験的見地から言っても、すべてがすべての原因であることは明らかだ。
すべてはあるがままだ。
なぜなら、宇宙全体があるがままだからだ。(p223)
あるがまま@
分離した個人というようなものは存在しないのだ。
経験的見地から言っても、すべてがすべての原因であることは明らかだ。
すべてはあるがままだ。
なぜなら、宇宙全体があるがままだからだ。(p223)
人格A
人格はどのようにして存在を持つのだろうか?
記憶によってだ。
現在を過去と同一視し、未来へと投影することによってだ。
あなた自身を過去も未来もない、一時的なものとして考えてみなさい。
あなたの人格は消え去るだろう。(p223)
体験 と 存在
「私は在る」はつねに新鮮なものなのだ。
あなたが在るために、覚えている必要はない。
実際問題として、あなたが何かを体験する前に、そこには存在の感覚がなけ
ればならないからだ。
現在、あなたの存在は体験することと混同している。
あなたに必要なことは、体験のもつれから存在を解きほどくことだけだ。
ひとたびあなたがあれやこれとして在ることのない純粋な存在を知ったなら
ば、もはやそれを体験の中から認識することも、名前や形によって迷わされ
ることもないだろう。(p223-224)
自己限定
自己限定は人格の主要な本質なのだ。(p224)
普遍
だが、あなたは普遍なのだ。
あなたはすでにそうであるものになることはできないし、またなる必要もな
い。
ただ、あなた自身が特定の存在だと想像するのをやめなさい。
去来するものは存在をもたない。
それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。
あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを知っている
だろうか?
すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから生じる。
あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟りなさい。
そのような受容が真の愛なのだ。(p224)
特定の存在
だが、あなたは普遍なのだ。
あなたはすでにそうであるものになることはできないし、またなる必要もな
い。
ただ、あなた自身が特定の存在だと想像するのをやめなさい。(p224)
去来するもの
去来するものは存在をもたない。
それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。
あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを知っている
だろうか?
すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから生じる。
あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟りなさい。
そのような受容が真の愛なのだ。(p224)
永遠の源
去来するものは存在をもたない。
それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。
あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを知っている
だろうか?
すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから生じる。
あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟りなさい。
そのような受容が真の愛なのだ。(p224)
真の愛
去来するものは存在をもたない。
それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。
あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを知っている
だろうか?
すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから生じる。
あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟りなさい。
そのような受容が真の愛なのだ。(p224)
真の愛
去来するものは存在をもたない。
それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。
あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを知っている
だろうか?
すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから生じる。
あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟りなさい。
そのような受容が真の愛なのだ。(p224)
正しい考え
誤った考えを捨て去りなさい。
それだけだ、
正しい考えを寄せ集めることも助けにはならない。
ただ、想像することをやめなさい。(p224)
理解 と 誤解A
理解しようとしてはならない
誤解しなければそれで充分だ。
解放を得るためにマインドに頼ってはいけない。
あなたを束縛へと追いやったのはマインドなのだ。
それをすべて超えていきなさい。(p224)
無知 と 世界
無知にははじまりがない。
しかし、終わりはある。
誰が無知なのか、と探求しなさい。
そうすれば、無知は夢のように溶け去る。
世界は矛盾でいっぱいだ。
それゆえ、あなたは調和と平和を探しているのだ。
それらを世界のなかに見いだすことはできない。
世界とは混沌(こんとん)の子供だからだ。
秩序を見いだすためには、あなたは内面を探求しなければならない。
あなたが身体の中に生まれて、はじめて世界は存在を表す。
身体がなければ、世界はない。
まずあなたが身体なのかどうか、探求しなさい。
世界を理解することは、後にそれにしたがってやってくるだろう。(p224)
無知 の はじまり
無知にははじまりがない。
しかし、終わりはある。
誰が無知なのか、と探求しなさい。
そうすれば、無知は夢のように溶け去る。(p224)
世界とは混沌の子供
世界は矛盾でいっぱいだ。
それゆえ、あなたは調和と平和を探しているのだ。
それらを世界のなかに見いだすことはできない。
世界とは混沌(こんとん)の子供だからだ。
秩序を見いだすためには、あなたは内面を探求しなければならない。
あなたが身体の中に生まれて、はじめて世界は存在を表す。
身体がなければ、世界はない。
まずあなたが身体なのかどうか、探求しなさい。
世界を理解することは、後にそれにしたがってやってくるだろう。(p224)
世界を救うA
多くの人がパンを食べている。
だが小麦についてすべてを知っている人は、ほんのわずかだ。
そして、それを知っている人だけがパンを改良することができる。
同様に、自己を知る人だけ、世界を超えた彼方を見た人だけが世界を改善で
きるのだ。
個人としてある人たちにとって、彼らの価値は途方もないものだ。
なぜなら、彼らだけが自分たちの解放への唯一の期待だからだ。
世界のなかに在るものが、世界を救うことはできない。
もしあなたが本当に世界を救おうとするなら、そこから出なければならない
のだ。(p225)
世界 と あなたA
世界とあなた、どちらが先に生まれたのだろうか?
世界が先だと考えるかぎり、あなたはそれに縛られているのだ。
疑いの跡形もなく、世界はあなたのなかに在り、あなたが世界のなかに在る
のではないとひとたび悟れば、あなたは外に出ている。
もちろん、あなたの身体は世界のなかに、世界に属したままだ。
だが、あなたはもはやそれに惑わされはしない。
すべての聖典は世界が存在する前に創造者が存在したと言っている。
誰が創造者を知っているのだろうか?
創造者以前に存在したのは、すべての世界とその創造物の源である、あなた
の真我だけなのだ。(p225)
絶対的に矛盾
実在は主観的でも客観的でもなく、マインドでも物質でもなく、時間でも空
間でもない。
これらの区分には、それが起こる当の人、意識的な分離した中心が必要とな
る。
しかし、実在はすべてであり無であり、全体性と排他性であり、充満と虚空
であり、完全に首尾一貫し、絶対的に矛盾したものだ。
それについて語ることはできないのだ。
あなたは、ただあなた自身をそのなかに失うことができるだけだ。(p225)
神という理念
あなたが実在ではないものすべてをどこまでも拒絶していくと、最終的に否
定しきれず残されたものにであう。
ジニャーナ(真理の知識)に関する話はすべて無知の印だ。
知らないのだと想像し、それから知るようになるのはマインドなのだ。
実在はこれらの歪曲に関して何も知らない。
創造者としての神という理念さえも偽りだ。
わたしは自己の存在を何かほかの存在に負うだろうか?
わたしは存在する。
それゆえ、すべては存在するのだ。(p226)
自己の存在
あなたが実在ではないものすべてをどこまでも拒絶していくと、最終的に否
定しきれず残されたものにであう。
ジニャーナ(真理の知識)に関する話はすべて無知の印だ。
知らないのだと想像し、それから知るようになるのはマインドなのだ。
実在はこれらの歪曲に関して何も知らない。
創造者としての神という理念さえも偽りだ。
わたしは自己の存在を何かほかの存在に負うだろうか?
わたしは存在する。
それゆえ、すべては存在するのだ。(p226)
子供 と 世界
(子供が世界のなかに生まれ、世界が子供のなかに生まれるのではない。
世界は古くて子供は新しいのだ、というなら)
子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。
さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世界があなた
に対して現れたのだろうか?
生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに世界をつく
り出すことだ。
しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか?
あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか?
誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、そのなか
で生きているのだ。
わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在生を否定することだけ
だ。(p226)
世界 と 子供
(子供が世界のなかに生まれ、世界が子供のなかに生まれるのではない。
世界は古くて子供は新しいのだ、というなら)
子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。
さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世界があなた
に対して現れたのだろうか?
生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに世界をつく
り出すことだ。
しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか?
あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか?
誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、そのなか
で生きているのだ。
わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在生を否定することだけ
だ。(p226)
あなた と 世界B
子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。
さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世界があなた
に対して現れたのだろうか?
生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに世界をつく
り出すことだ。
しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか?
あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか?
誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、そのなか
で生きているのだ。
わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在生を否定することだけ
だ。(p226)
生まれる
子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。
さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世界があなた
に対して現れたのだろうか?
生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに世界をつく
り出すことだ。
しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか?
あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか?
誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、そのなか
で生きているのだ。
わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在性を否定することだけ
だ。(p226)
牢獄の実在性
子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。
さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世界があなた
に対して現れたのだろうか?
生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに世界をつく
り出すことだ。
しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか?
あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか?
誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、そのなか
で生きているのだ。
わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在性を否定することだけ
だ。(p226)
創造の種子
(子供の誕生以前に存在していた世界のその種子は……)
死と誕生を観照し、しかもけっして生まれず死ぬこともないその人とともに
ある。
ただ彼だけが創造の種子であり、最後に残るものなのだ。
マインドの彼方に何があるのかを、マインドに確認するよう頼むわけにはい
かない。
直接体験だけが唯一有効な証拠なのだ。(p226)
マインドの彼方@
マインドの彼方に何があるのかを、マインドに確認するよう頼むわけにはい
かない。
直接体験だけが唯一有効な証拠なのだ。(p226)
火を楽しむ人
木が木ではない火を生みだすように、身体は身体ではないマインドをつくり
出すのだ。
しかし、マインドは誰にとって現れるのだろう?
あなたがマインドと呼ぶ思考や感情を知覚するのは誰だろうか?
木があり、火があり、火を楽しむ人がいる。
誰がマインドを楽しむのだろうか?
楽しむ人もまた食べ物の結果だろうか、あるいはそれに依存しないのだろう
か?(p227)
あなた自身B
真理は永遠のものだ。
実在は不変だ。
変化するものは実在ではない。
実在は変化しない。
さて、あなたのなかで変化しないものとは何だろうか?
食べ物があるかぎり、身体とマインドはある。
食べ物がなくなれば、身体は死に絶える。
マインドは溶け去る。
だが、観察者は消えるだろうか?
(消え去らないと思うが証拠がない、というなら)
あなた自身がその証拠なのだ。
ほかのどんな証拠もあなたはもっていないし、もつこともできない。
あなたはあなた自身だ。
あなたはあなた自身を知り、あなた自身を愛している。
何であれマインドがすることは、それ自身への愛のためにするのだ。
自己の本性そのものが愛なのだ。
それは愛し、愛され、そして愛すべきものだ。
身体とマインドをそんなにも興味深く、親しくするのは自己だ。
それらに与えられる配慮自体も自己からやってくるのだ。(p227-228)
独立した存在
(身体とマインドなしに自己は存在できるのか、というなら)
できる。
自己がマインドと身体から独立した存在だということは実際の体験なのだ。
それは存在―意識―至福だ。
存在の意識は至福なのだ。(p228)
存在の意識
(身体とマインドなしに自己は存在できるのか、というなら)
できる。
自己がマインドと身体から独立した存在だということは実際の体験なのだ。
それは存在―意識―至福だ。
存在の意識は至福なのだ。(p228)
あたかも死んで
あなたが身体でもマインドでもないと知るには、あなた自身を油断なく揺る
ぎなく見守ることだ。
また、あなたの身体とマインドに影響を受けることなく、完全に距離を置き、
あたかも死んでいるかのように生きるがいい。
つまりあなたは身体にもマインドにも既得権をもっていないという意味だ。(p228)
既得権
あなたが身体でもマインドでもないと知るには、あなた自身を油断なく揺る
ぎなく見守ることだ。
また、あなたの身体とマインドに影響を受けることなく、完全に距離を置き、
あたかも死んでいるかのように生きるがいい。
つまりあなたは身体にもマインドにも既得権をもっていないという意味だ。(p228)
個人に終止符
私はあなたに自殺しろと言っているのではない。
それに、あなたにはできない。
あなたが殺せるのは身体だけだ。
精神的過程を止めることはできないし、あなたがあなただと考えている個人
に終止符を打つこともできないのだ。
ただ、影響を受けずにいなさい。
このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
だ。(p228)
影響を受けずに
ただ、影響を受けずにいなさい。
このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
だ。
身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
られるのだ
何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
た自身ではないのだと思い出しなさい。(p228)
無関心 と 証明
ただ、影響を受けずにいなさい。
このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
だ。
身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
られるのだ
何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
た自身ではないのだと思い出しなさい。(p228)
最良の証明
ただ、影響を受けずにいなさい。
このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
だ。
身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
られるのだ
何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
た自身ではないのだと思い出しなさい。(p228)
記憶が体験となる
身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
られるのだ
何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
た自身ではないのだと思い出しなさい。
覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
なぜなら、記憶が体験となるからだ。
誠実さが存在を明かすのだ。
想像し、決意したことが現実となる。
ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。(p228)
想像し、決意したこと
何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
た自身ではないのだと思い出しなさい。
覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
なぜなら、記憶が体験となるからだ。
誠実さが存在を明かすのだ。
想像し、決意したことが現実となる。
ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。(p228)
解決の糸口
何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
た自身ではないのだと思い出しなさい。
覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
なぜなら、記憶が体験となるからだ。
誠実さが存在を明かすのだ。
想像し、決意したことが現実となる。
ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。(p228)
危険性 と 解決
想像し、決意したことが現実となる。
ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。(p228)
欲望 と 幸福B
あなたの欲望を、実在以外にはそれを満たすことができなくなるほど増大さ
せ、拡大させなさい。
欲望が間違いなのではない。
だがその狭さ、小ささが間違いだ。
欲望とは献身だ。
ぜひとも真実に、かぎりなきものに、生命の永遠のハートに献身しなさい。
欲望を愛に変容させなさい。
あなたが求めているのは幸福であることだけだ。
あなたのすべての欲望はそれが何であれ、あなたの幸福への熱望の表現なの
だ。
基本的に、あなたはあなた自身の幸福を望んでいるのだ。(p229)
狭さ、小ささが
あなたの欲望を、実在以外にはそれを満たすことができなくなるほど増大さ
せ、拡大させなさい。
欲望が間違いなのではない。
だがその狭さ、小ささが間違いだ。
欲望とは献身だ。
ぜひとも真実に、かぎりなきものに、生命の永遠のハートに献身しなさい。
欲望を愛に変容させなさい。
あなたが求めているのは幸福であることだけだ。
あなたのすべての欲望はそれが何であれ、あなたの幸福への熱望の表現なの
だ。
基本的に、あなたはあなた自身の幸福を望んでいるのだ。(p229)
欲望とは献身だ
あなたの欲望を、実在以外にはそれを満たすことができなくなるほど増大さ
せ、拡大させなさい。
欲望が間違いなのではない。
だがその狭さ、小ささが間違いだ。
欲望とは献身だ。
ぜひとも真実に、かぎりなきものに、生命の永遠のハートに献身しなさい。
欲望を愛に変容させなさい。
あなたが求めているのは幸福であることだけだ。
あなたのすべての欲望はそれが何であれ、あなたの幸福への熱望の表現なの
だ。
基本的に、あなたはあなた自身の幸福を望んでいるのだ。(p229)
欲望を愛に変容
あなたの欲望を、実在以外にはそれを満たすことができなくなるほど増大さ
せ、拡大させなさい。
欲望が間違いなのではない。
だがその狭さ、小ささが間違いだ。
欲望とは献身だ。
ぜひとも真実に、かぎりなきものに、生命の永遠のハートに献身しなさい。
欲望を愛に変容させなさい。
あなたが求めているのは幸福であることだけだ。
あなたのすべての欲望はそれが何であれ、あなたの幸福への熱望の表現なの
だ。
基本的に、あなたはあなた自身の幸福を望んでいるのだ。(p229)
幸福であること
あなたの欲望を、実在以外にはそれを満たすことができなくなるほど増大さ
せ、拡大させなさい。
欲望が間違いなのではない。
だがその狭さ、小ささが間違いだ。
欲望とは献身だ。
ぜひとも真実に、かぎりなきものに、生命の永遠のハートに献身しなさい。
欲望を愛に変容させなさい。
あなたが求めているのは幸福であることだけだ。
あなたのすべての欲望はそれが何であれ、あなたの幸福への熱望の表現なの
だ。
基本的に、あなたはあなた自身の幸福を望んでいるのだ。(p229)
賢明に愛しなさい
あなたの欲望はそこにある。
あなたの幸福への熱望はそこにある。
なぜか?
なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。
あなた自身を愛しなさい。
賢明に。
あなたを苦しめることになるような、愚かな仕方であなた自身を愛してはな
らない。
あなた自身を賢明に愛しなさい。
耽溺(たんでき)も禁欲も、ともにあなたを幸せにする同じ目的をもってい
る。
耽溺は愚かな方法であり、禁欲は賢い方法だ。(p229)
耽溺 と 禁欲
あなたの欲望はそこにある。
あなたの幸福への熱望はそこにある。
なぜか?
なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。
あなた自身を愛しなさい。
賢明に。
あなたを苦しめることになるような、愚かな仕方であなた自身を愛してはな
らない。
あなた自身を賢明に愛しなさい。
耽溺(たんでき)も禁欲も、ともにあなたを幸せにする同じ目的をもってい
る。
耽溺は愚かな方法であり、禁欲は賢い方法だ。(p229)
禁欲とは何か
ひとたびあなたが体験を通り抜けたなら、ふたたびそれを通らないことが
禁欲だ。
不必要なことを避けることが禁欲だ。
つねにものごとを制御することが禁欲だ。
欲望自体は何も悪いものではない。
それは生命そのもの、知識と体験のなかに成長しようとする衝動なのだ。
間違いはあなたの選択にある。
食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
と想像するのは、自分自身を欺くことだ。
あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
に幸福にするのだ。(p229)
間違いA
間違いはあなたの選択にある。
食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
と想像するのは、自分自身を欺くことだ。
あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
に幸福にするのだ。(p229)
セックスA
間違いはあなたの選択にある。
食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
と想像するのは、自分自身を欺くことだ。
あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
に幸福にするのだ。(p229)
本当に欲しい
つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい。
結局、あなたが本当に欲しいのは何なのか?
完璧ではない。
あなたはすでに完璧なのだ。
あなたが求めているのは、あなたであるものを行為のなかで表現することな
のだ。
このためにあなたは身体とマインドを持っているのだ。
それらを手にし、あなたに仕えさせなさい。(p230)
完璧
つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい。
結局、あなたが本当に欲しいのは何なのか?
完璧ではない。
あなたはすでに完璧なのだ。
あなたが求めているのは、あなたであるものを行為のなかで表現することな
のだ。
このためにあなたは身体とマインドを持っているのだ。
それらを手にし、あなたに仕えさせなさい。(p230)
行為のなかで表現
つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい。
結局、あなたが本当に欲しいのは何なのか?
完璧ではない。
あなたはすでに完璧なのだ。
あなたが求めているのは、あなたであるものを行為のなかで表現することな
のだ。
このためにあなたは身体とマインドを持っているのだ。
それらを手にし、あなたに仕えさせなさい。(p230)
自己は普遍
自己は普遍のものだ。
そしてその目的も普遍のものだ。
自己には個人的なものは何もない。
秩序ある生を生きなさい。
だが、それ自体を目的にしてはならない。
それは高次の冒険のための出発点であるべきだ。(p230)
動き回る
もしあなたが真剣ならば、あちこち動き回る必要はない。
どこにいようと、あなたはあなた自身だ。
そして、あなたは自分自身の空気をまわりにつくり出す。
移動や交通は解放を与えはしない。
あなたは身体ではないのだ。
身体を場所から場所へと引きずりまわしても、あなたをどこへも連れて行き
はしない。
あなたのマインドは三界を思いのままに行き来するのも自由なのだ。
それを最大限に利用するがいい。(p230)
三界
もしあなたが真剣ならば、あちこち動き回る必要はない。
どこにいようと、あなたはあなた自身だ。
そして、あなたは自分自身の空気をまわりにつくり出す。
移動や交通は解放を与えはしない。
あなたは身体ではないのだ。
身体を場所から場所へと引きずりまわしても、あなたをどこへも連れて行き
はしない。
あなたのマインドは三界を思いのままに行き来するのも自由なのだ。
それを最大限に利用するがいい。(p230)
あなた と 身体
あなたは身体のなかにはいない。
身体があなたのなかにあるのだ!
マインドはあなたのなかにある。
身体とマインドはあなたに起こるのだ。
それらがそこにあるのは、あなたがそれらに興味をもったからだ。
あなたの本性は楽しむための無限の能力をもっている。
いっぱいの情熱と愛情をもっている。
それはその輝きを気づきの焦点のなかに来るすべてに放ち、何ひとつ除外さ
れるものはない。
あなたの本性は悪も醜さも知らない。
それは期待し、信頼し、愛する。
あなたたちはあなたの本来の自己を知らないことで、どれほど逃しているか
を知らないのだ。
あなたは身体でもマインドでもない。
燃料でも火でもない。
それらはそれら自体の法則にしたがって現れては消えるのだ。(p230)
あなたの本性
あなたの本性は楽しむための無限の能力をもっている。
いっぱいの情熱と愛情をもっている。
それはその輝きを気づきの焦点のなかに来るすべてに放ち、何ひとつ除外さ
れるものはない。
あなたの本性は悪も醜さも知らない。
それは期待し、信頼し、愛する。
あなたたちはあなたの本来の自己を知らないことで、どれほど逃しているか
を知らないのだ。
あなたは身体でもマインドでもない。
燃料でも火でもない。
それらはそれら自体の法則にしたがって現れては消えるのだ。(p230)
他者への愛
他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。
彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛すること
はできない。
あなたではないもののふりをしてはならない。
あなたであることを拒んではならない。
あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。
真我の実現なしには、いかなる徳も本物ではない。
すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
を知るだろう。
しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
ない。
なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
それは悪循環だ。
真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。
固い決意でそれに向かいなさい。(p231)
分離している
すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
を知るだろう。
しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
ない。
なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
それは悪循環だ。
真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。
固い決意でそれに向かいなさい。(p231)
恐れ と 疎外
すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
を知るだろう。
しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
ない。
なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
それは悪循環だ。
真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。
固い決意でそれに向かいなさい。(p231)
カルマ(運命)に加えられる
社会と環境からの圧力のもとに為(な)されたことはさほど重要ではない。
なぜなら、それはほとんど機械的で、単に刺激に反応しているにすぎないか
らだ。
自分自身を冷静に見守り、起こっていることから自分自身を完全に孤立させ
ることで充分だ。
注意もせず、盲目のうちに為された行為はカルマ(運命)に加えられる。
さもなければ、それは大した問題ではない。(p232)
グルとは誰か?
グルが要求することはひとつだけだ。
明晰性と目的の強烈さ、自分自身に対する責任の感覚だ。
世界の実在性そのものが疑われなければならない。
結局のところ、グルとは誰か?
世界も、それに関する考えも存在しない状態を知るその人、彼が至高の師だ。
彼を見つけることは、もはや想像を実在と見なすことのない状態に達するこ
とを意味する。
どうか理解してほしい。
グルは実在を、真理を、ただ在るものを象徴するのだ。
彼は言葉の最上の意味において現実主義者だ。
彼はマインドとその妄想に降伏できないだろうし、またしない。
彼はあなたを実在へと連れていく。
彼に何かほかのことを期待してはならない。(p232)
真のグル@
あなたが考えている、情報や知識を与える人は真のグルではない。
真のグルは実在を知り、見かけの魅力を超えているのだ。
彼にとって、あなたの服従と試練に関する質問は意味をなさない。
なぜなら彼にとって、あなたがあなた自身だと信じている個人は存在しない
からだ。
あなたの質問は非存在の個人に関するものだ。
あなたにとって存在するものも、彼にとっては存在しない。
あなたが当然と見なしていることを、彼は絶対的に否定する。
彼はあなたに、彼があなたを見るように、あなた自身を見てほしいのだ。
そうしたとき、あなたは服従し、したがうグルを必要とはしなくなるだろう。
なぜなら、あなたはあなた自身の実在にしたがい服従するからだ。
何であれ、あなたが自分自身だと見なしているのは、ただの一連の出来事に
すぎない。
すべてが起こり、去来する間、あなただけが移り変わるもののなかでの不変、
推測されることのなかでの唯一自明のものなのだ。
観察する者から観察されるものを分離しなさい。
そして偽りの同一化を放棄するがいい。(p232)
仕事 と 自由な時間
仕事をするがいい。
自由な時間があるとき、内面を見なさい。
重要なことは、機会がそれ自体を差しだしているときを逃してはならないと
いうことだ。
もしあなたが真剣ならば、許された時間を最大限に使うだろう。
それで充分だ。(p233)
マインドの沈黙
あなたが何をしようとも、あなたのマインドを見守りなさい。
また、マインドが絶対的に静止した、完全な内なる平和と沈黙の時間をもた
ねばならない。
もしそれを逃せば、あなたはすべてを逃すことになる。
もしそれを逃さなければ、マインドの沈黙がそれ以外のすべてを吸収し、溶
かし去るだろう。
あなたの困難は、実在を求めながら同時にそれを恐れていることだ。
恐れているのは、あなたがそれを知らないからだ。
なじみのあるものは知られている。
あなたはそれらに安全を感じる。
未知なるものは不確かであり、それゆえ危険なのだ。
しかし、実在を知ることは、それとの調和のなかに在ることだ。
そして調和のなかに恐れの居場所はない。(p233)
幼児
幼児は自分の身体を知っている。
だが、身体を基盤とした区別を知らない。
ただ意識していて幸せなのだ。
結局のところ、それこそが生まれてきた目的なのだ。
在ることの喜びはもっともシンプルな形の自己愛だ。
それは後に、真我への愛として成長する。
幼児のように身体と自己の間に、何も妨げるものなく在りなさい。
生活のなかでの絶え間ない精神的騒音は、そこには不在だ。
深い沈黙のなかで、自己は身体を観照している。
それはまだ、何も書かれていない白紙のようなものだ。
その幼児のように在りなさい。
あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありなさい。
あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだかるべきで
はない。(p233)
在ることに幸せ
あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありなさい。
あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだかるべきで
はない。(p233)
在ることで満足
(ただ在ることで満足するのは)もっとも価値のある利己的な在り方だ!
真我以外のすべてを差し控えることで、利己的になるがいい。
真我以外の何も愛さないとき、あなたは利己的と非利己的をともに超えてい
く。
すべての区別はその意味を失い、ひとつの愛とすべての愛は、純粋でシンプ
ルな、誰に対してでもなく、誰をも拒まない愛のなかでともに溶けあうのだ。
その愛のなかに住みなさい。
深く、より深くそのなかに入っていきなさい。
あなた自身を探求しなさい。
そして探求を愛しなさい。
そうすれば、あなたはあなた自身の問題だけではなく、人類全体の問題も解
決するだろう。(p234)
確信がないのは
あなたに確信がないのは、体験にばかり注意を払って、けっして自分自身に
注意を払わなかったからだ。
すべての体験を超え、あなた自身に興味をもちなさい。
あなた自身とともに在りなさい。
あなた自身を愛しなさい。
究極の安全は自己知識のなかにだけ見いだすことができる。
重要なのは誠実さだ。
自分自身に正直でありなさい。
そうすれば、何もあなたを裏切ることはない。
美徳や力は、子どもが遊ぶためのただのおもちゃのコインにすぎない。
世界のなかでは、それらは有用だ。
だが、あなたをそれから連れだしはしない。
その彼方へと行くには不動の油断のなさ、平静な注意力が必要だ。(p235)
体験にばかり注意を払って
あなたに確信がないのは、体験にばかり注意を払って、けっして自分自身に
注意を払わなかったからだ。
すべての体験を超え、あなた自身に興味をもちなさい。
あなた自身とともに在りなさい。
あなた自身を愛しなさい。
究極の安全は自己知識のなかにだけ見いだすことができる。
重要なのは誠実さだ。
自分自身に正直でありなさい。
そうすれば、何もあなたを裏切ることはない。
美徳や力は、子どもが遊ぶためのただのおもちゃのコインにすぎない。
世界のなかでは、それらは有用だ。
だが、あなたをそれから連れだしはしない。
その彼方へと行くには不動の油断のなさ、平静な注意力が必要だ。(p235)
究極の安全
あなたに確信がないのは、体験にばかり注意を払って、けっして自分自身に
注意を払わなかったからだ。
すべての体験を超え、あなた自身に興味をもちなさい。
あなた自身とともに在りなさい。
あなた自身を愛しなさい。
究極の安全は自己知識のなかにだけ見いだすことができる。
重要なのは誠実さだ。
自分自身に正直でありなさい。
そうすれば、何もあなたを裏切ることはない。
美徳や力は、子どもが遊ぶためのただのおもちゃのコインにすぎない。
世界のなかでは、それらは有用だ。
だが、あなたをそれから連れだしはしない。
その彼方へと行くには不動の油断のなさ、平静な注意力が必要だ。(p235)
重要なのは誠実さだ
あなたに確信がないのは、体験にばかり注意を払って、けっして自分自身に
注意を払わなかったからだ。
すべての体験を超え、あなた自身に興味をもちなさい。
あなた自身とともに在りなさい。
あなた自身を愛しなさい。
究極の安全は自己知識のなかにだけ見いだすことができる。
重要なのは誠実さだ。
自分自身に正直でありなさい。
そうすれば、何もあなたを裏切ることはない。
美徳や力は、子どもが遊ぶためのただのおもちゃのコインにすぎない。
世界のなかでは、それらは有用だ。
だが、あなたをそれから連れだしはしない。
その彼方へと行くには不動の油断のなさ、平静な注意力が必要だ。(p235)
美徳や力は
あなたに確信がないのは、体験にばかり注意を払って、けっして自分自身に
注意を払わなかったからだ。
すべての体験を超え、あなた自身に興味をもちなさい。
あなた自身とともに在りなさい。
あなた自身を愛しなさい。
究極の安全は自己知識のなかにだけ見いだすことができる。
重要なのは誠実さだ。
自分自身に正直でありなさい。
そうすれば、何もあなたを裏切ることはない。
美徳や力は、子どもが遊ぶためのただのおもちゃのコインにすぎない。
世界のなかでは、それらは有用だ。
だが、あなたをそれから連れだしはしない。
その彼方へと行くには不動の油断のなさ、平静な注意力が必要だ。(p235)
健康
あなたの身体は食べ物が変容したものだ。
食べ物が粗雑なものか、繊細なものかによって、あなたの健康も決まるだろ
う。(p235)
セックス@
セックスは後天的な習慣だ。
超えていきなさい。
身体に焦点を合わせているかぎり、あなたは食べ物とセックス、恐れと死に
捕らえられたままだ。
あなた自身を見いだし、自由になりなさい。(p235)
マインドの「六つの敵 *」
重要なのは欲望、恐れといったマインドの「六つの敵 *」である否定的感情
から自由になることだ。
ひとたび、マインドがそれらから自由になれば、あとはたやすい。
洗剤に浸けおいた布がきれいになるように、純粋な感情の流のなかでマイン
ドは浄化されるのだ。
* 訳注 「六つの敵」 性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望。(p236)
否定的感情
重要なのは欲望、恐れといったマインドの「六つの敵 *」である否定的感情
から自由になることだ。
ひとたび、マインドがそれらから自由になれば、あとはたやすい。
洗剤に浸けおいた布がきれいになるように、純粋な感情の流のなかでマイン
ドは浄化されるのだ。
* 訳注 「六つの敵」 性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望。(p236)
重要なことは
あなたが静かに座り自己を見つめるとき、あらゆることが表層に現れてくる
かも知れない。
それらに対して何もしてはいけない。
それらに反応してはならない。
それらはやってきたようにそれら自身で去っていくだろう。
重要なことは注意、自分自身へというより、むしろ自分のマインドへの完全
な気づきだけだ。(p236)
直接的洞察
観察を観察することはできる。
だが、観察者をではない。
あなたは観察を基盤とした論理的過程によってではなく、直接的洞察によっ
て、あなたが究極の観察者だということを知っている。
あなたはあなたであるものだ。
だが、あなたが知っているのはあなたではないものだ。
自己は存在として知られ、非自己は一時的なものとして知られる。
しかし実際は、すべてはマインドのなかにあるのだ。
観察されるもの、観察、そして観察者は精神的構成概念にすぎない。
真我だけが在るのだ。(p237)
究極の観察者
観察を観察することはできる。
だが、観察者をではない。
あなたは観察を基盤とした論理的過程によってではなく、直接的洞察によっ
て、あなたが究極の観察者だということを知っている。
あなたはあなたであるものだ。
だが、あなたが知っているのはあなたではないものだ。
自己は存在として知られ、非自己は一時的なものとして知られる。
しかし実際は、すべてはマインドのなかにあるのだ。
観察されるもの、観察、そして観察者は精神的構成概念にすぎない。
真我だけが在るのだ。(p237)
区別 と 分離
区別することはマインドの本性そのものなのだ。
区別すること自体に害はない。
しかし分離は事実に反している。
ものごとや人びとはさまざまだ。
しかし、それらは分離していない。
自然はひとつ、実在はひとつだ。
反対のものはあっても、対立はないのだ。(p237)
仕事 と 活動
仕事と単なる活動の間には違いがある。
すべての自然は働いている。
働くことは自然だ。
自然は働くのだ。
一方、活動は欲望と恐れ、所有し楽しむことへの切望、苦痛と消滅への恐怖
を根底にしている。
仕事は全体による全体のためのものだ。
活動は自分による自分のためのものだ。(p237)
戻りつづける
あなたが束縛のなかにいること、何であれ、あなたに起こることは身体的存
在という事実によることを、あらゆる機会を使って自分に思い起こさせなさ
い。
欲望、恐怖、困難、喜び、それらは現れる対象であるあなたがいないかぎり、
現れることはできない。
それにもかかわらず、何であれ起こることは知覚する中心としてのあなたの
存在を指し示す。
指し示すものは無視し、それらが何を示しているのかに気づきなさい。
それはとても簡単だが、実行されなければならない。
重要なことは、あなた自身に戻りつづけるという持続性なのだ。(p237)
持続性
あなたが束縛のなかにいること、何であれ、あなたに起こることは身体的存
在という事実によることを、あらゆる機会を使って自分に思い起こさせなさ
い。
欲望、恐怖、困難、喜び、それらは現れる対象であるあなたがいないかぎり、
現れることはできない。
それにもかかわらず、何であれ起こることは知覚する中心としてのあなたの
存在を指し示す。
指し示すものは無視し、それらが何を示しているのかに気づきなさい。
それはとても簡単だが、実行されなければならない。
重要なことは、あなた自身に戻りつづけるという持続性なのだ。(p237)
時間がかかる
身体は物質的なものであり、変えるには時間がかかる。
マインドは考え方と感じ方という精神的習慣の集合だ。
変えるためには、それらは表層に引き出され、調べられなければならない。
これもまた時間がかかる。
ただ決心し、たゆまずやり通すことだ。
あとはそれ自身が面倒を見るだろう。(p238)
気づくこと
気づくことは目覚めることだ。
気づかないことは眠っていることだ。
いずれにせよ、あなたは気づいている。
そうあろうと試みる必要はない。
あなたに必要なのは、気づいていることに気づくことだ。
意図的に、そして意識的に気づいていなさい。
気づきの領域を広げ、そして深めなさい。
あなたはつねにマインドを意識している。
だが、あなた自身が意識していることに気づいてはいないのだ。(p238)
マインド/意識/気づき
こういうふうに見てみなさい。
マインドは、たとえあなたが見ていないときでも、想いを絶え間なく生みだ
している。
マインドのなかで何が起こっているかを知っているとき、あなたはそれを意
識と呼ぶ。
あなたの意識は感覚から感覚へ、知覚から知覚へ、観念から観念へと果てし
ない連続のなかで移行している。
これがあなたの目覚めの状態だ。
そしてマインドの全体性、意識全体への直接の洞察である気づきが現れる。
マインドは川のように、身体の川床のなかを絶えず流れている。
あなたはあなた自身を一瞬ある特定の波と同一化し、それを「私の想い」と
呼ぶのだ。
あなたが意識するすべてはあなたのマインドであり、気づきとは意識の全体
性の認識だ。(p238)
意識の大海
「誰もが意識している」と言ってはならない。
「意識がそこにはある」と言いなさい。
そのなかですべては現れ消えていく。
私たちのマインドは意識の大海の波にすぎない。
波としてのそれは、来ては去っていく。
海としてのそれは、無限で永遠だ。
あなた自身を生命の大海、すべての存在の子宮として知りなさい。
もちろん、これらはすべて隠喩だ。
実在は描写を超えている。
あなたはそれで在ることによってのみ、それを知ることができるのだ。(p239)
存在の子宮
「誰もが意識している」と言ってはならない。
「意識がそこにはある」と言いなさい。
そのなかですべては現れ消えていく。
私たちのマインドは意識の大海の波にすぎない。
波としてのそれは、来ては去っていく。
海としてのそれは、無限で永遠だ。
あなた自身を生命の大海、すべての存在の子宮として知りなさい。
もちろん、これらはすべて隠喩だ。
実在は描写を超えている。
あなたはそれで在ることによってのみ、それを知ることができるのだ。(p239)
無限の豊かさ
もしあなたが正気で、創造的に、幸福に、そして分かちあえる無限の豊かさ
をもって生きたいと願うならば、あなたであるものを探求しなさい。
マインドは身体の中心にあり、意識はマインドの中心にあるが、気づきは自
由だ。
身体はその衝動をもち、マインドはその苦痛と喜びをもっている。
気づきは無執着で、不動だ。
それは透明で、静かで、穏やかで、油断なく、恐れがなく、欲望も恐怖もな
い。
あなたの真の存在として、それに瞑想しなさい。
そして日々の生活のなかでそれで在ろうと試みなさい。
そうすれば、あなたはその豊かさを実現するだろう。(p239)
気づきは自由だ
マインドは身体の中心にあり、意識はマインドの中心にあるが、気づきは自
由だ。
身体はその衝動をもち、マインドはその苦痛と喜びをもっている。
気づきは無執着で、不動だ。
それは透明で、静かで、穏やかで、油断なく、恐れがなく、欲望も恐怖もな
い。
あなたの真の存在として、それに瞑想しなさい。
そして日々の生活のなかでそれで在ろうと試みなさい。
そうすれば、あなたはその豊かさを実現するだろう。(p239)
マインド と 気づき@
マインドは起こっていることに関心を持つが、気づきはマインド自体に関心
をもつのだ。
子どもはおもちゃを追い求めるが、母親はおもちゃではなく子どもを見てい
る。
たゆまず見つづけることで、私は完全な虚空となったのだ。
そしてその虚空とともに、すべては私に戻ってきた。
ただマインドを除いて。
私はマインドを失い、取り戻すことができないことに気づいたのだ。(p239)
神聖な状態
私は意識でも無意識でもない。
私はマインドと、その多様な状態と条件を超えているのだ。
区別はマインドによってつくられ、マインドにのみ適用される。
私は純粋な意識そのものだ。
存在するものすべての完全な気づきだ。
私は神聖な状態にいる。
個人を構成する区分や分離に惑わされることはない。
身体が続くかぎり、それにはその要求がある。
しかし、私の精神的過程は終焉(しゅうえん)したのだ。(p239-240)
精神的過程
私は意識でも無意識でもない。
私はマインドと、その多様な状態と条件を超えているのだ。
区別はマインドによってつくられ、マインドにのみ適用される。
私は純粋な意識そのものだ。
存在するものすべての完全な気づきだ。
私は神聖な状態にいる。
個人を構成する区分や分離に惑わされることはない。
身体が続くかぎり、それにはその要求がある。
しかし、私の精神的過程は終焉(しゅうえん)したのだ。(p239-240)
私の思考
私の思考は消化作用のように無意識であり、意味のあるものだ。(p240)
消化作用
私の思考は消化作用のように無意識であり、意味のあるものだ。(p240)
正しいと知る
(それが正しいと知るのは)それを妨げる何の欲望も恐れもないからだ。
どうして間違いを犯すことができるだろうか?
ひとたび自分自身と、自分が何を意味するのかを知れば、自分自身をつねに
確かめる必要はない。
あなたの時計が正確な時を告げていると知れば、それを見るたびにためらう
必要はないのだ。(p240)
私はすべてだ@
あなたにとって、私は個人として見えるかも知れないが、あなたの言葉の意
味でいう個人ではない。
私はそのなかですべてが起こる無限の意識の大海なのだ。
そしてすべての実存と認識を超えた存在の純粋な至福だ。
私から分離したと感じられるものは何もない。
それゆえ、私はすべてだ。
私はいかなるものでもない、それゆえ、私は無なのだ。(p240)
個人的
火は燃え、水は流れ、種子は発芽し、樹木は生長する。
その同じ力が私をしてあなたの質問に答えさせるのだ。
言葉や話しぶりは個人的に見えるかも知れないが、私に関しては何も個人的
なことはない。
個人とは、欲望や思考や行動の一様式だ。
私の場合、そのようなものは何もない。
私には望むものも恐れるものもない。
どうして様式がそこにありえようか?(p240)
存在の母体
生命は離れ、身体は死を迎えるだろう。
だが、それが私に影響を与えることはまったくない。
私は時間と空間を超えた彼方に在る。
原因なく、原因を与えることなく、しかも存在の母体そのものなのだ。(p240)
一瞬でさえ
私の師が、「私は在る」という感覚をしっかりつかまえ、一瞬でさえ離して
はならない、と私に言ったのだ。
私は彼の助言にしたがって最善を尽くし、比較的短期間で彼の教えの正しさ
を実現した。
私がしたことといえば、彼の教え、彼の顔、彼の言葉を絶えず思い起こして
いたことだ。
これがマインドに終焉をもたらした。
マインドの静寂のなかで、私は束縛から解放された、あるがままの私を見た
のだ。(p240)
比較的短期間で
私の師が、「私は在る」という感覚をしっかりつかまえ、一瞬でさえ離して
はならない、と私に言ったのだ。
私は彼の助言にしたがって最善を尽くし、比較的短期間で彼の教えの正しさ
を実現した。
私がしたことといえば、彼の教え、彼の顔、彼の言葉を絶えず思い起こして
いたことだ。
これがマインドに終焉をもたらした。
マインドの静寂のなかで、私は束縛から解放された、あるがままの私を見た
のだ。(p240)
マインドに終焉
私の師が、「私は在る」という感覚をしっかりつかまえ、一瞬でさえ離して
はならない、と私に言ったのだ。
私は彼の助言にしたがって最善を尽くし、比較的短期間で彼の教えの正しさ
を実現した。
私がしたことといえば、彼の教え、彼の顔、彼の言葉を絶えず思い起こして
いたことだ。
これがマインドに終焉をもたらした。
マインドの静寂のなかで、私は束縛から解放された、あるがままの私を見た
のだ。(p240)
もっとも奇妙な
恐れることへの恐怖がもっとも奇妙な恐れであるように、すべての欲望に終
止符を打とうと望むことは、もっとも奇妙な欲望だ。
ひとつは、あなたにつかみ取ることをやめさせ、もうひとつは、あなたに逃
げだすことをやめさせる。
あなたは同じ言葉を使うかも知れないが、その状態は、同じではない。
真我の実現を探し求める人は欲望に溺れない。
探求者は欲望に沿うことなく逆らっていく。
自由への一般的な切望はただの初歩段階だ。
適切な手段を見つけ、それらを適用することが、つぎなる段階だ。
探求者には、彼の真我を見いだすというたったひとつのゴールしか視野にな
い。
すべての欲望のなかで、それはもっとも野心的なものだ。
なぜなら、何も、そして誰もそれを満たすことはできないからだ。
探求者と探求されるものはひとつだ。
そして探求のみが重要なのだ。(p241)
欲望に溺れない
真我の実現を探し求める人は欲望に溺れない。
探求者は欲望に沿うことなく逆らっていく。
自由への一般的な切望はただの初歩段階だ。
適切な手段を見つけ、それらを適用することが、つぎなる段階だ。
探求者には、彼の真我を見いだすというたったひとつのゴールしか視野にな
い。
すべての欲望のなかで、それはもっとも野心的なものだ。
なぜなら、何も、そして誰もそれを満たすことはできないからだ。
探求者と探求されるものはひとつだ。
そして探求のみが重要なのだ。(p241)
ただの初歩段階
真我の実現を探し求める人は欲望に溺れない。
探求者は欲望に沿うことなく逆らっていく。
自由への一般的な切望はただの初歩段階だ。
適切な手段を見つけ、それらを適用することが、つぎなる段階だ。
探求者には、彼の真我を見いだすというたったひとつのゴールしか視野にな
い。
すべての欲望のなかで、それはもっとも野心的なものだ。
なぜなら、何も、そして誰もそれを満たすことはできないからだ。
探求者と探求されるものはひとつだ。
そして探求のみが重要なのだ。(p241)
探求者 と 探求
探求者は消え去るが、探求は続く。
探求は究極であり、永遠の実在だ。(p241)
永遠の実在
探求者は消え去るが、探求は続く。
探求は究極であり、永遠の実在だ。(p241)
実在の探求
いいや。
それ(=探求)は不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
実在の探求自体が実在の動きなのだ。
ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存
在の根本である真我の探求を意味している。
この探求が終わることはけっしてない。
それと同時に、それ以外のすべてへの落ち着きのない切望が終わらなければ
ならないのだ。(p241)
真我の探求
いいや。
それ(=探求)は不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
実在の探求自体が実在の動きなのだ。
ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存
在の根本である真我の探求を意味している。
この探求が終わることはけっしてない。
それと同時に、それ以外のすべてへの落ち着きのない切望が終わらなければ
ならないのだ。
実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解し
なければならない。
ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドのなかで区別不可能となっ
たとき、何かが起こる。
そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたがあるからであり、あな
たが存在するのは神があるからだと知るだろう。(p241)
神 と あなたA
実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解し
なければならない。
ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドのなかで区別不可能となっ
たとき、何かが起こる。
そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたがあるからであり、あな
たが存在するのは神があるからだと知るだろう。(p241)
区別不可能
実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解し
なければならない。
ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドのなかで区別不可能となっ
たとき、何かが起こる。
そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたがあるからであり、あな
たが存在するのは神があるからだと知るだろう。(p241)
運命 と 自由
運命は名前と形にのみ関係する。
あなたは身体でもマインドでもないのだから、運命があなたをコントロール
することはできない。
あなたは完全に自由だ。
コップは形、材質、利用法などに条件づけられている。
だが、コップのなかの空間は解放されている。
それはコップに関連して見られたときにだけ、コップのなかにあると見なさ
れる。
そうでなければ、それはただの空間だ。
身体があるかぎり、あなたは肉体化されたかのように見える。
身体がなくなっても、あなたは肉体から分離されたのではない。
あなたはただ在る。
運命さえもただの概念にすぎない。(p242)
数多くの説
運命さえもただの概念にすぎない。
言葉はあらゆる方法で組み立てられる。
表明は異なるだろうが、それらが現実において変化をもたらすだろうか?
数多くの説がものごとを説明するために発明されてきた。
それらすべてはもっともらしいものであり、どれも本物ではない。
車を運転するとき、あなたは科学と力学の法則の支配下にある。
車を降りたら、生理学と生化学の支配下にある。(p242)
ただひとつの瞑想
あなたが初心者であるかぎり、ある形式的な瞑想、あるいは祈りが向いてい
るだろう。
しかし、実在の探求者にはただひとつの瞑想があるだけだ。
それは思考を潜ませることへの厳格な拒絶だ。
思考から自由になること、それ自体が瞑想だ。
(それには)思考が起こるにまかせ、それらを見ることだ。
その観察自体がマインドをゆっくりさせ、完全に止まらせる。
ひとたび、マインドが静まったなら、それを静かに保ちなさい。
平安に退屈になってはならない。
そのなかに在りなさい。
そのなかにより深く入っていきなさい。(p242)
観察自体が
思考が起こるにまかせ、それらを見ることだ。
その観察自体がマインドをゆっくりさせ、完全に止まらせる。
ひとたび、マインドが静まったなら、それを静かに保ちなさい。
平安に退屈になってはならない。
そのなかに在りなさい。
そのなかにより深く入っていきなさい。(p242)
新しい実験
新しい実験をしてみなさい。
過去の体験にしたがってはならない。
あなたの思考を見なさい。
そして思考を見ているあなた自身を見なさい。
すべての思考から自由になった状態が突然起こるだろう。
そしてその至福によって、それを認識するだろう。(p242)
新聞
私は新聞を読んでいる。
何が起こっているかも知っている!
だが、私の反応はあなたのようなものではない。
あなたは救済を探し求めているが、私は防止に関わっている。
原因があるかぎり、結果がなければならない。
人びとが分割し分離することにしたがうかぎり、彼らが利己的で攻撃的であ
るかぎり、そのようなことは起こるだろう。
もし世界に平和と調和を望むならば、あなたのハートとマインドのなかに平
和と調和をもたなければならない。
そのような変化を強(し)いることはできない。
それは内側から現れなければならないのだ。
戦争を嫌悪する者たちは、彼らの人格から戦争を追いださなければならない。
平和な人びとなしに、どうやって平和な世界をもたらすことができるだろう?
人びとがこのままであるかぎり、世界はこのままでなければならない。
私は彼らの不幸の原因である、彼ら自身を知ることを助けようとしているの
だ。
その意味においては、私は有益な人間だろう。
しかし、私自身のなかの私、私の本来の状態は、社会的意識や有益性といっ
た言葉で表現することはできないのだ。(p242-243)
救済 と 防止
私は新聞を読んでいる。
何が起こっているかも知っている!
だが、私の反応はあなたのようなものではない。
あなたは救済を探し求めているが、私は防止に関わっている。
原因があるかぎり、結果がなければならない。
人びとが分割し分離することにしたがうかぎり、彼らが利己的で攻撃的であ
るかぎり、そのようなことは起こるだろう。
もし世界に平和と調和を望むならば、あなたのハートとマインドのなかに平
和と調和をもたなければならない。
そのような変化を強(し)いることはできない。
それは内側から現れなければならないのだ。
戦争を嫌悪する者たちは、彼らの人格から戦争を追いださなければならない。
平和な人びとなしに、どうやって平和な世界をもたらすことができるだろう?
人びとがこのままであるかぎり、世界はこのままでなければならない。
私は彼らの不幸の原因である、彼ら自身を知ることを助けようとしているの
だ。(p242-243)
有益な人間
人びとがこのままであるかぎり、世界はこのままでなければならない。
私は彼らの不幸の原因である、彼ら自身を知ることを助けようとしているの
だ。
その意味においては、私は有益な人間だろう。
しかし、私自身のなかの私、私の本来の状態は、社会的意識や有益性といっ
た言葉で表現することはできないのだ。(p243)
私の本来の状態
私は彼らの不幸の原因である、彼ら自身を知ることを助けようとしているの
だ。
その意味においては、私は有益な人間だろう。
しかし、私自身のなかの私、私の本来の状態は、社会的意識や有益性といっ
た言葉で表現することはできないのだ。
私はそれについて隠喩や寓話を用いて話すかもしれない。
だが、それはただそうではないということを強く知っている。
それは経験できないということではない。
それがそれ自体を経験しているのだ。
しかし、理解するために、分離や対立が不可避なマインドの言語を用いたの
では、私の本来の状態を表現することはできないのだ。(p243)
私のマインド
世界は、何か活字をタイプされた一枚の紙切れのようなものだ。
読み方や意味は読者によって異なるだろう。
だが、紙は共通の要因だ。
つねに存在しながら、それが気づかれるのはまれだ。
インクリボンが取り除かれたとき、紙の上にタイプの痕跡は残らない。
私のマインドも同様だ。
印象は現れつづける。
だが、何の痕跡も残さないのだ。(p243)
私 と 動機
動機はない。
私は動機を持っているに違いないとあなたは言う。
私はここに座ってはいない。
また話してもいない。
私を身体と混同してはいけない。
私には何の仕事もないし、成し遂げる義務もない。
あなたが神と呼ぶ、あの部分の私が世界の面倒を見るだろう。(p243)
在る と 知る@
在ることが知ることから分離できるだろうか?
すべての知識のように、すべての存在はあなたと関係している。
あるものが存在するのは、あなたが体験か存在のどちらかにおいて知るから
だ。
あなたがそう信じるかぎり、あなたの身体とマインドは存在する。
それらがあなたのものだと考えるのをやめなさい。
そうすれば、それらはただ消え去る。
あなたの身体とマインドを機能させるがいい。
だが、それらにあなたを限定させてはならない。
もしあなたが不完全さを見つけたなら、ただ気づいていなさい。
それらに注意を払うこと自体が、あなたのハートとマインドと身体を正すだ
ろう。(p243)
偶然で原因がない
「偶然の」とは既知の法則にあてはまらない何かを意味している。
私が、すべては偶然で原因がないと言うとき、ただそれによって作用する法
則や原因は、私たちの知識や想像を超えているという意味なのだ。
もしあなたが秩序と調和ある予測可能なものを自然と呼ぶならば、高次の法
則にしたがい、高次の力によって動かされるものは「自然発生的」と呼べる
かもしれない。
このように、私たちは二つの自然の秩序をもっている。
個人的で予測可能なもの、そして非個人的、あるいは超個人的な予測不可能
なものだ。
それを低次の自然と高次の自然と呼んでもいい。
そして偶然という言葉は忘れてしまいなさい。
あなたが知識と洞察において成長するにつれ、低次と高次の間の境界線の印
象は薄らいでいく。
だが、それらがひとつとして見られるまでは、二つのままとどまる。
なぜなら、事実、すべては実に驚くほど不可解だからだ!(p246)
二つの自然の秩序
「偶然の」とは既知の法則にあてはまらない何かを意味している。
私が、すべては偶然で原因がないと言うとき、ただそれによって作用する法
則や原因は、私たちの知識や想像を超えているという意味なのだ。
もしあなたが秩序と調和ある予測可能なものを自然と呼ぶならば、高次の法
則にしたがい、高次の力によって動かされるものは「自然発生的」と呼べる
かもしれない。
このように、私たちは二つの自然の秩序をもっている。
個人的で予測可能なもの、そして非個人的、あるいは超個人的な予測不可能
なものだ。
それを低次の自然と高次の自然と呼んでもいい。
そして偶然という言葉は忘れてしまいなさい。
あなたが知識と洞察において成長するにつれ、低次と高次の間の境界線の印
象は薄らいでいく。
だが、それらがひとつとして見られるまでは、二つのままとどまる。
なぜなら、事実、すべては実に驚くほど不可解だからだ!(p246)
低次と高次A
「偶然の」とは既知の法則にあてはまらない何かを意味している。
私が、すべては偶然で原因がないと言うとき、ただそれによって作用する法
則や原因は、私たちの知識や想像を超えているという意味なのだ。
もしあなたが秩序と調和ある予測可能なものを自然と呼ぶならば、高次の法
則にしたがい、高次の力によって動かされるものは「自然発生的」と呼べる
かもしれない。
このように、私たちは二つの自然の秩序をもっている。
個人的で予測可能なもの、そして非個人的、あるいは超個人的な予測不可能
なものだ。
それを低次の自然と高次の自然と呼んでもいい。
そして偶然という言葉は忘れてしまいなさい。
あなたが知識と洞察において成長するにつれ、低次と高次の間の境界線の印
象は薄らいでいく。
だが、それらがひとつとして見られるまでは、二つのままとどまる。
なぜなら、事実、すべては実に驚くほど不可解だからだ!(p246)
ひとつとして見られるまで
「偶然の」とは既知の法則にあてはまらない何かを意味している。
私が、すべては偶然で原因がないと言うとき、ただそれによって作用する法
則や原因は、私たちの知識や想像を超えているという意味なのだ。
もしあなたが秩序と調和ある予測可能なものを自然と呼ぶならば、高次の法
則にしたがい、高次の力によって動かされるものは「自然発生的」と呼べる
かもしれない。
このように、私たちは二つの自然の秩序をもっている。
個人的で予測可能なもの、そして非個人的、あるいは超個人的な予測不可能
なものだ。
それを低次の自然と高次の自然と呼んでもいい。
そして偶然という言葉は忘れてしまいなさい。
あなたが知識と洞察において成長するにつれ、低次と高次の間の境界線の印
象は薄らいでいく。
だが、それらがひとつとして見られるまでは、二つのままとどまる。
なぜなら、事実、すべては実に驚くほど不可解だからだ!(p246)
混沌と秩序
混沌という概念自体が、秩序、有機的といった相互関係の意議を前提として
いる。
混沌と秩序。
これらは同じ状態の二つの相ではないだろうか?(p247)
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