私たちは、何時まで気がつかない振りをするつもりなのだろう。
そして、地球上での“生命の誕生”、“内省的意識の誕生”などを問題にし続けるつもりなのだろうか。 熱力学に二つの法則があるという。 「エネルギー保存の法則」と「エントロピーの法則」だ。 実は、この二つの法則は地球上でただ一つ絶対法則として確立されているものであり、これ以外のあらゆる科学法則は、ニュートンの「万有引力の法則」も、アインシュタインの「相対性原理」も含めて、すべては“暫定法則”であるという。 つまり、地球の物質次元を探求した現在の科学から、絶対のものとして確認された法則は、熱力学のこの二つの法則しかないということらしい。 熱力学の第一法則「エネルギー保存の法則」とは、この大宇宙を物質次元でみた場合、その物質的表現である質量とエネルギーの総和は永久に変わらないということらしい。 そしてもうひとつ、熱力学の第二法則「エントロピーの法則」とは、ひとつの閉鎖系の中でのエントロピー(無秩序の度合い)は絶えず不可逆的に増大するという法則だという。 通常この熱力学の第二法則は、地球上のエネルギー資源の問題と重ね合わせて連想されるらしい。 そして、例えば地球環境というような閉鎖系での生命発生の問題は、その閉鎖系の外側からの“自由エネルギー”の供給によって説明されるらしい。そのようにして、物質世界での唯一の絶対法則「エントロピーの法則」と、閉鎖系内での生命の“発生”という現象を無矛盾的に接合しようとするものらしい。 すると、太陽系をひとつの閉鎖系と考えた場合はどうなるだろう。 その場合は、その“自由エネルギー”は太陽系を包含する外側の系、銀河系から供給されると考えるという。では……。 これは何処かで聞いたことのあるような話だ。 宇宙はどうして落ちないのか、というインドの話だ。 宇宙はどうして落ちないのか、とある子どもが訊いた。すると「大きな像が背中で支えているのさ」と答えたというあれだ。 「その像はどうして落ちないの?」 「それはもっと大きな像の背中に支えられているのさ」 「そのもっと大きな像はどうして落ちないの?」 「もっともっと大きな像が背中で支えているのさ」 というあの話だ。 現代の宇宙物理学では、宇宙誕生のビッグバンのときには、宇宙はすべてのっぺらぼうの巨大なエネルギーの塊だったという。そのエネルギーの海が猛烈な勢いで拡大して、最も平板な状態から現在の大宇宙が生まれたというのだ。 もしこの大宇宙が、生命発生のために外側からその“自由エネルギー”を供給されたとなれば、それはもう大宇宙ではないだろう。 大宇宙の外側に、外部宇宙は存在しないはずだから。 そうだとすると、最初ののっぺらぼうのエネルギー状態の中から現在の地球生命を含む多様な宇宙が生成展開した原理が、この大宇宙の中に存在しなければならないはずだ。ところが物質界で唯一絶対法則として認められているのは、「エネルギー保存の法則」と「エントロピーの法則」だという。 つまり物質界で唯一絶対法則として認められているものは、秩序の崩壊法則しかないということらしい。 これはいったいどういうことになるのだろうか。 何時まで気がつかない振りができるだろう。何時まで物質界の中での<生命>の“誕生”や、内省的<意識>の“発生”などを考えていられるものだろう。 では、宇宙はどのようにして生まれたのか。 宇宙がどのようにして生まれたかは、宇宙をはらんで産み落とした者がきて説明してくれないことには、私たちには分からないだろう。 けれども、その宇宙をはらみ産み落とした者はどうして生まれたのかと問うなら、それは分かっていると言ってもいい。 OSHOはいう。 「それは常にあった。生まれてくる必要などない」と。 世界は何時もこうだったのだ。 始まったこともなければ、終わることもない。 ここではすべてが生きており、すべてが“自分”の思いに対応しており、すべてが繋がりあって会話しているのだ。 よりもっともらしく言うことが必要なら、物質界とは<意識>を三次元世界に展開するためのより濃密な表現であり、この宇宙が生きているのはこの宇宙のあらゆる隅々まで<意識>が浸透しているためで、偶然の物質過程から突然<生命>が“誕生”したからではないということだ。 これほど自明なことを、どうして科学がこれまで無視し続けてきたのかは分からない。そこにはおそらく、何か人間の自我【エゴ】に固有の心理的問題があるのかもしれない。それとも、物質次元に<意識>を展開するための固有の約束ごとでもあるのだろうか。 熱力学の二つの法則が物質界唯一の絶対法則であるのは、けっして偶然ではないかもしれない。 「エネルギー保存の法則」とは、“物質次元は、それとしては生まれることもなければ滅びることもない”ことを、また「エントロピーの法則」とは、“生命現象の根拠は物質次元の中には存在しない”ことを、それぞれ保証する法則ではないのだろうか。 つまり、現在までの地球上の科学が唯一の絶対的科学法則として証明しえたものは、“物質次元はそれとしては不生不滅であり、それ自体の中には生命現象の根拠は存在しない”ということではないのか。 (p152-156) |