ジェームス・ラブロック博士の「ガイア仮説」は、従来、無機的な化学変化によって説明されてきた地球の物質環境の発展を、地球という有機生命体を想定することによって説明しようとした画期的な仮説だ。 博士は、有機化学的なホメオスタシスを想定せずには私たち生命を育んでくれている地球環境の奇跡的物質バランスの生成と維持は説明できないとして、その有機生命体に「ガイア」というギリシャ神話の女神の名を当てたのだった。 そして博士は、その地球生命の生成発展を、あくまでも純物質的過程の偶然の積み重ねによるものとして、“宇宙開闢【かいびゃく】”から地球上の人間生命の“誕生”までのビジョンに、包括的な科学的根拠を提示しようとしたのだった。 博士のビジョンによって、地球上の“生命の誕生”は無機化学的偶然から、有機化学的必然に格上げされたと言っていいだろう。 けれどもそこまで言って、なおかつその有機化学的必然の根拠にあるものはやはり純粋に物質的な偶然の過程の積み重ねでしかない、と説明するとしたら、その博士のビジョンは、ある意味では、十を言おうとして九まで言い、それを結局ゼロに取り下げてしまったようなものといえないだろうか。 地球上の“生命の誕生”は、無機化学という一見純粋な偶然の物質過程であったところから、有機生命体という必然過程であるところまで解明が進んだ。それなら何故、物質次元にその有機生命体の“誕生”を誘【いざな】った<意識>にまで、博士のビジョンは飛翔しないのだろう。 有機生命体「ガイア」は、どんな意図もなしに自分の物質的恒常性を守ろうとするだろうか。 どんな意図もない偶然が合目的的なホメオスタシス過程を維持できないのが自明だとするなら、そこには有機生命体としての必然、つまり「意図」が前提されていることになる。ではその「意図」を保持しているものは何か。誰がそれを意図しているのか。 無機化学的ないわゆる“機械的”偶然の過程から、その「意図」は誕生したというのだろうか。いつの間にか地球に自我【エゴ】が発生していたとでも……。 ここにも、オデッセイ号のコンピュータ「ハル」にエゴを前提してしまったのと同じ種類の錯誤がある。『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク著、早川書房刊)をヴィジョンできた天才が、思わず無視して飛び越えてしまった無限の深淵、すなわち<意識>の存在をやすやすと機械過程の延長上に置いてしまうというあの錯誤が。 ラブロック博士にせよ、クラーク博士にせよ、あまりにも科学に造詣の深い人たちは、どうしても偶然しか信じようとはしないらしい。これまでの地上の「科学」というものが、そのような意志そのものなのだろうか。 科学者がそれほどの金縛りにかかっているのなら、そして、その金縛りにかかっていない者は科学者とは認められないというのなら、科学者でない誰かがそれを言わなければならないだろう。人類が太古の昔から知っているあるものの存在、古来“神”という名で呼ばれてきた存在、つまり<意識>による創造過程の存在を。 昔ニュートンは、自分が神の創造世界の海辺で貝殻を拾っている子どもであることを知っていたという。ラブロック博士は、地球が有機生命体であることを直感している。ニュートンとラブロック博士で、何が違ってしまったというのだろう。 確かに、ニュートンがイメージしていたかもしれないような“神”は存在しないかもしれない。けれども、私たちは自分という<意識>が存在することを知っているはずだ。 そして、正気なら、また正直なら、この<意識>が、純物質次元の偶然の過程などから“誕生”しようのないものであることを「知っている」はずだ。 ラブロック博士の「ガイア仮説」はだから、地球上での“生命の誕生”を、それが地球という物理次元ではどのような手段を通じて実現されたかを最も包括的に説明しているという意味で、私たち地上の人類の現段階の理解の到達点を示していると言える。 けれども、もしその「ガイア仮説」を、言葉の真の意味で、地球という物質世界の自律的運動による“生命の誕生”、“意識の誕生”の物語として読むなら、そんな可能性は万にひとつも存在しえないことを、私たちは理解しなければならない。 この広大な宇宙がもし<意識>で満たされていないなら、全宇宙の中で、たったひとつの島宇宙のたったひとつの星の惑星上ですら、無生命の機械過程の中での偶発的な“生命の誕生”の可能性など絶対にありえないことを知るべきだ。何億万回の竜巻きが起ころうとも、それがジェット機を吹き寄せることがありえないように……。 そしてもし、何億万回目かの竜巻がついにジェット機を吹き寄せたのだとすれば、その背後に竜巻の吹き寄せ方をそのように工夫している「意図」を、その「意図」を可能にしている<意識>を前提しなければならない。 そしてその<意識>は、いかなる物質次元の単位にもあるいは構造体にも還元することはできない。 (p156-159) |