かすかに幼年の日を思い起こしてみれば、私たちは非常に単純な世界から出てきたような気がする。 けれども物心ついて色々なことに関心を持ち、色々なことを少しずつ理解したと思うようになってからというもの、振り返って考えてみれば、どう考えても自分がますます複雑な世界に住むようになってきていることに気がつく。 色々の人の理解の枠組みを知り、自分なりに何かを納得する。けれども、それですべてが分かるというのでもない。世界は常に新しい側面を見せ、自分の理解の枠組みを飛び出してしまうように見える。 世界を理解する必要がなかったときは、それはある単純な実質、ある確かな存在だった。だが、それを理解しようとし始めたとたん、それは途方もなく複雑怪奇な姿を呈して、私たちの理解の枠組みから抜け出てしまう。 大思想家たちの理解の枠組みを覗いてみても、すべてが納得がいくようにも思われない。一人ひとりの理解にはそれぞれの癖があり、それぞれのユニークさと偏向が備わっているようだった。それぞれの人の理解の枠組みは、それぞれの経緯を背景として独自な方言を形成していた。 どれもある面では見事な分析能力を発揮していたが、自分にとってそれですべてが理解できるとも思えなかった。 そういうさまざまな世界観のぶつかり合う世界を、もうひとつ新たな世界観を構築することで理解しようとするなどとうてい可能なこととも思えなかった。 理解のための枠組みそのものが、複雑で特殊なマインドの構築物でしかなかった。 幼年の頃、ある生き生きとした神秘を感じながらぼんやりと眼前の世界を眺めていたあのような世界が、この知的営為によって回復できることはなさそうだった。 OSHOは言う。 「意識が分割され、鏡のようではなくなったとき、それは思考になる。思考とは割れた鏡だ」と。 どうやら、思考とは実在の世界をそのままに映し出せるものではないらしい。言葉で世界を理解することはできないようなのだった。 いってみれば、言葉で何かを表現するとは、三次元の壷の形を一次元の糸に写し取ろうとするような試みなのかもしれない。ぐるぐるに壷に巻き付けた糸を伸ばしてみても、その糸で壷の姿を映し出すことはできない。 あるいはそれは、空に浮かぶ雲が自らの姿で大空の形を言い当てようとするようなものかもしれない。空の雲が自分のまわりの様々な雲の形を見て、その組み合わせで大空の姿を言い当てようとしても、ますます複雑怪奇なことにならざるをえない。 単純な世界が見たければ、自分自身が最初のあの単純な赤ん坊にならなければならないのだろう。 どんな特殊性も、方言も、理解の枠組みも持たないただの空っぽに。 そして多分、自分が空っぽになれれば、他の空っぽと融合することもできるのかもしれない。自分が空っぽになったとき、そこにあるのが単純な世界、了解されたのでもなく、了解されないのでもない、在るがままの姿なのだろう。 けれども、だからといって、私たちが考えることを止められるわけではない。 私たちは、どうしてか、何時もものを思っていなければならない。 恐らくそれは、私たちが四六時中、死から逃れて救済を求めようとし、恐怖からのがれて安全を求めようとし、損から逃れて得を求めようとしているからなのだろう。 けれどもそうすることによって、私たちは必然的に「全体」から切り離され、孤立した「個」にならざるをえない。 そして密かに、「やましさ」を抱えなければならなくなる。 OSHOは言う。 人間が“もっと”を手に入れることはない。もっと得をすることなどありえない。なぜなら、今ここで、すでに充分以上を持っているのだから。だから、人間が苦闘によって獲得できるのは、すでに持っている「今ここ」を逃すことでしかない。自分が唯一生かされている、「今ここ」を失うことでしかない、と。 恐らく私たち「個」とは、自分の中に「やましさ」を持たないことが可能な最大限の“得”であることを知るために、“得”を求め続ける間の仮の姿なのかもしれない。 (p179-182) |