けれども、この「どうして?」という問いには、もともと疑問の二つの方向が、萌芽として含まれていたようだ。 ひとつは、問いの対象の“存在の仕方”を問う方向だ。 問う者は、自分または自分の心情との関わりを問題にしているわけではなく、ただそれが「どうなっているのか?」に知的な関心を寄せている。 いってみれば、対象そのものに吸い込まれ、それがそうである仕組み、構造自体を問題にしている問いだといえる。 このような問いを、HOWの問いと呼ぶことにしよう。 「雨はどうして降るの?」と子どもが問うたとき、それは水が湯気になって空中に昇り、雲となって浮かんでいたのが大きな粒になり、雨となって降って来るのだと説明されれば、聞いた子はなるほどそんなものかと思う。 そして自分が問うた問い、期待した“理由”がそのような因果関係、構造を問うていたのだということを知る。 つまり解答者は、この子の問いをHOWの問いだと見なしたわけだ。 このようなHOWの問いかけに対する解答が蓄積され、構造的な体系をなしたものが「科学」であるといっていいだろう。 その問いはあくまでも、その現象がどのように実現されているのかを問題にしており、対象とする事象が生起するその因果関係、背景の構造を問うているのだった。 この「どうなっているのか?」という問いを、逆に人間の欲望を反映させて「どうすれば?」という問いかけに変じたものが「技術」の体系だといえるだろう。 そして、問う者がそれをHOWの問いとして発している限り、その解答が発問者にとって理解できないということはない。HOWの問いでは、問うたこと自体が、発問者がその解答の意味(その構造や位置)を理解できることを保証しているからだ。 このような問いの方向は、私たちの眼前に現象する対象世界の物質的構造を問うものであったために、そこにどのように働きかければ自分にとってより都合のよい事象を現出させることができるかの、ノウハウを蓄積する結果をも導くことにもなった。 これが物質的世界の豊かさを導きだした西洋世界の問い、その論理と方法論を単純化した姿だといえるだろう。 西洋世界はこのような左脳のエッセンスとしての「論理」を磨き、対象世界を了解可能な形に構造化する道を歩んだ。 そのような対象世界は「自然」と呼ばれ、そのような眼前に横たわる「自然」に対して、人間は「論理」を手段に征服を試みるような態度を形成していったのだろう。 そのような観点から発問する限り、対象世界である「自然」は問いを発する者のその問いのレベルに応じて、どこまでも微細な構造を打ち明け、自らの仕組みを明け渡して行くようにも見えた。 その中で、最初の好奇と畏敬の念を表していた「どうして?」は、何時かなかば傲慢ともいえる搾取者の問いとなり、いつか母親の死体を解剖してしまった狂人のように、複雑巨大なジグソーの中に自らの姿を見失って途方に暮れていった。 物質的世界はあくまでも便利に豊かになって行くようにも見えたが、そうする中で自分の中の何かが空虚になって行くようでもあった。 自然の征服はどこまでも可能なようにも見えたが、そのように対象世界を手段と化していく中で何かがバランスを失い、対象の構造が明らかになればなるほど、かえって全体への見晴らしは曖昧になっていった。 (p184-186) |