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『21世紀への指導原理 OSHO』より

    近代西洋科学文明の射程距離


 デカルトは「我思う、故に我あり」と言った。
 二〇世紀までの全地球を覆った西洋科学文明の、これがその基底をなした最も深いアイデンティティ理解だったといえるだろう。私たち地球人類が突入しようとしている新たなる世紀は、このデカルトの理解が真理の半分であることを、人類の誰もが自明のこととして知っている世界だ。

 デカルトは無論、自分が何を言ったのかを知っていると思っていただろう。
 その後、西洋世界でこのデカルトの言葉が公式に否定されたことを聞かない以上、このことは現在もなお疑うまでもない公認の真理であるに違いない。
 この言葉は、「どんなに自分の存在を疑ってみても、この疑っている内面の存在を疑いえない以上、私は存在する」というデカルトの発見を定着したものだった。
 そしてこのデカルトのメッセージは、二〇世紀まで発達してきた西洋科学文明の性格を非常に深いところで規定している。
 このようなメッセージに、これほど深く近代西洋文明の性格が反映されていることに、私たちは驚かざるをえない。恐らく、これは単なる偶然ではありえないだろう。
 このデカルトのメッセージは、西洋近代の科学文明の二つの基本性格に見事に写し取っている。

 ひとつは、“真理とはどんなにその存在を疑ってみても、その疑いをはね除けてなおかつ明らかに存在するものだ”という理解だ。
 確かにこの理解は、物理次元だけをその探求の対象としたこれまでの科学理論にとっては、まことに妥当な理解だった。
 そのため、これは近代科学を奥深くから支えるあまりにも基本的な<ソフト>として疑われることがなかった。
 そしてそれは、科学の着実な発展と明証性を支える唯一の方法論となった。つまり科学の方法論である「実験」が、反復可能性に依拠することの暗黙の論理的根拠となったわけだ。

 もうひとつは、デカルトが自らの疑いを切り上げた地点に関係する。
 デカルトは自分の疑問の終点、いわば悟りとでもいうべきポイントを「我思う、故に我あり」と表現した。
 この表現は、文字通りの意味では、「私が思うということが、私の存在をあらしめている」という事情を表明している。裏からいえば、「私の存在は、私の思いに根拠を持っている」ということだ。
 これは、考えようによってはまったくの冗語でしかない。
 けれども、一見同義反復とも見えるこの表現の中に、近代西洋文明の射程距離が明示され、ひいては近代西洋文明の運命さえも予告されているかもしれない。
 ここに現在の地球の窮状をもたらした“主体”が、西洋科学文明を操る私たち現代人の“思い”にあるという事情が表明されているといったら、それはあまりにも飛躍になってしまうだろうか。

 根拠への探求が、その探求する“思い”の存在に突き当たって立ち往生したからといって、必ずしもその探求を偽物とはいえない。デカルトの中でどれほどの深さの探求が落着したのかは、けっして自明ではないからだ。
 けれどもまた、それが「根拠」と言えるほどの深い安定をもたらすものでなかったろうとも想像できる。
 何しろ人間の根拠は、内面の空に一瞬一瞬浮かんでは消える“思い”にあるというのだから。
 かくて、近代文明の中で私たちは絶えずものを思う方向に駆り立てられ、ものを思うことが人間になることだと思わされてきたのかもしれない。
 誕生直後の赤ん坊などは、「我」として存在するための“種”ということになるのだろうか。

 私たちはただ、西洋で発生した近代科学文明が人間存在の根拠としてどれほどの深さのものを前提していたかを推測するに止めておこう。
 その探求においては、私たちの惑星では東洋世界がすでに何千年もの昔から、<意識>が行き着ける限りの果てまで旅していたのだから……。
 だが、西洋世界はデカルト以来、非常な速度で物質次元の科学に歩みを進めた。
 西洋近代の科学文明は、この自分の思考内容、すなわち自我【エゴ】が主人であるという大前提のもとに築かれてきており、ひたすらこの悩み惑う自分の“思い”の命令のままにまわりの物質世界を対象として把握し、その対象に対する支配を確立しようとする努力だったといえる。
 フロイトによる「潜在意識」と「超自我」の発見は、そのような「自我」に従来知られていなかった構造を与えた意味はあっても、「自我」が“主体”であるという前提に根本的変更を迫るものではなかった。
 その西洋世界が“主体”とした「自我【エゴ】」を指してOSHOは言う。
「マインドは召使いにすれば実に有能だが、主人にすればこれほど厄介なものはない」と。
(p202-205)

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