一方インドを中心とする東洋では、宗教を求める者はひたすら内面のリアリティを追求する道を採った。 その道を辿る者には外側に展開する喧噪の世界は俗世として感じられ、自分の沈黙を乱すもののように感じられた。道を求める者はますます俗世から逃れるようになり、ひとり自らの沈黙の中に身を避けようとした。 インドがこの東洋的探求の方向、WHATの問いの深まりを代表していた。 だがこのインドの場合のように、最も優れた知性がひたすら内面の世界に身を捧げることによって、東洋にもある種の偏りと空隙が生じた、とOSHOはいう。 すなわちそれは二十世紀までの東洋全体を覆った圧倒的な物質的貧困だ。それこそが、外側の物質的世界をあまりにも無視したために起こった偏向だった。 かくて東洋の教えの中では、内なる“真の世界”と外側の“仮の世界”という観念体系ができあがり、知的なマインドはひたすら内面世界の平安を求めて、外側に現象している物質的な世界を切り捨てた。外側の物質的な世界はますます貧困になっていった。 例えば、インドは仏陀を生んだ黄金の時代をピークとして、それ以後は二度と再び精神的にも、物質的にもその豊かさに到達することはなかった。二千年の昔と比べてすら、インドはひたすら貧困を深めて行くばかりだった。 この東洋の二千年の隷属は偶然ではない、とOSHOはいう。東洋はそのための準備をし、それを受け入れたのだ、と。 外側の世界が実在しないと考えることで、科学的発展の可能性は消えた。 外側の世界が幻想であるなら、その幻想の世界を解剖し、その秘密を発見することに何の意味もなかった。それゆえ東洋は貧困にとどまり、空腹のままでいなければならず、何世紀にもわたって隷属のもとに置かれねばならなかった、とOSHOはいう。 さらに、OSHOはいう。 東洋全体は何千年ものあいだ、精神性について、意識について、光明を得ること、瞑想について語ってきた。 そして外側では、乞食であり、病気で腹をすかし隷属の下にとどまっている。 いったい誰がこの奴隷とその偉大な哲学に耳をかすだろう。西洋はただ一笑に付している。だが笑いは一方の側だけにあるのではない。東洋もまた、西洋の人々が無用な富を蓄積し、自分自身を失っているのを見て笑っている。私たち人間は何千年もの間、実に不思議な精神分裂的マインドの状態の中で生きてきた、と。 OSHOなる原理は、全体的人間を教える。 OSHOはいう、外側が真実であるのと同じく内側も真実だ。そして外側もまた、精神的であることと同じように重要だ。その二つはどちらが優位であるのでもなく、共に等しく、互いに補足し合って一定の平衡状態を達成しなければならない。 それは未だかつてこの地上に起こったことがなかった。だがこれが起こらない限り、この地球に人類が存続しうる可能性はない、と。 「西洋は、それ自身の成功ゆえに死につつある。東洋はそれ自身の成功ゆえにすでに死んでいる」 ひとたび、人間が両方−−瞑想的であることと世界に関する科学的態度−−を同時に学んだら、私たちは醜悪で、不健康で、病んだ狂気の過去と手を切り、新しい段階、まったく新しい局面に入ることになる、とOSHOはいう。 (p212-214) |