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『21世紀への指導原理 OSHO』より

    『ソラリス』、あるいは象の夢


『ソラリス』、あるいは象の夢

 物理次元で「真空」と呼ばれる<意識>の海が光の媒質なら、宇宙の最も中心的な波動域には(つまり、最も微細な波動として)、その光の一大中心が存在するのかもしれない。そしてその光の一大中心に行くには、おそらく物理次元の空間を移動するのとはまた違った<意識>の海の移動の仕方、内面の開放の仕方があるということだろう。
 このような姿の宇宙が実際にあるのかどうか、またあるとしたらそれは何故あるのか、そういう問いの解答は、それを問う<主体>には明されない。
 またそれを了解した<主体>はそれを問うことをしない。何を想像しても、それは推測の域を出ない。

 私たちの肉体が生きているのではない。
 そうではなく、逆に永遠の命である「真空」が、その<意識>の内容を物理次元に一瞬一瞬の現象として表現しているのだろう。
 目に見えるこの世界は、分子とか原子とかクォークとかいった粒子の構造を通じて<意識>が自らを物理次元に表現したものに他ならない。
 巨大ドームの中をびっしり満たしている<意識>には一瞬の遅滞もないとしても、「真空」の海の中で自在に“ほこり”を動かすには、幾分は思うに任せないところがあるのだろう。その思うに任せないいわば“ずれ”が、<意識>の海の中に“時間”を、また“欲望”を発現させ、それがひいては幽界といわれるような“実体”を集積するのかもしれない。
「四智」に満たされた<意識>の海そのものは永遠の今で、始まることもなければ終わることもないのだろう。ただその「真空」の大空は、中に雲を浮かべて遊ぶことができるのだろう。その雲は白い雲であったり、おどろおどろしい黒い雨雲であったりもできるのだろう。
 しかしその雲は常に束の間のものでしかない。物理次元の中で一瞬といい、一年といい、百年といい、二万五千年といい、四六億年といっても、永遠の今の中では何の違いもないだろう。

“自省的意識”というものをこの物理次元に投影するために、どれほどの工夫と楽しみと遊びがあったのかは知らない。
 ただ、物理次元にこの“自省的意識”を実現するために、どうしてもこの精妙な大脳という仕組みをこしらえなければならなかったのだろう、としかいいようはない。
 そしてこの大脳という仕組みを使って、物理次元に突出した<意識>、マインドに何度も誤りを犯させ、マインド自体が自分の愚かさを理解していくというプロセスによって、“何か”を誘【いざな】おうとしたのだろう。

 誰がそのようなことをしてみようと思ったのかは、分からない。
 それを「誰が」と呼ぶ波動によっては、それはけっして共鳴できない(理解できない)波動なのだから。それを「誰が」と呼ぶ波動帯には、それはけっして置き換えることができない波動なのだから。
 けれども、私たち人間が、「真空」という全宇宙にたったひとつしかないある実体の中に浮かんでいる“チューナー”あるいは“焦点レンズ”のようなものであり、<生命>の実体がその「真空」の海の方にあることは、私たちの理解形式に照らしてみて間違いないことだ。
 その“焦点レンズ”、つまり「魂」と呼ばれるものをこの物理次元に突出させるのに、これまでは転生と呼ばれる形が採られたということなのだろう。
 私たちという自我【エゴ】は、「何か」に“生かされてきた”ということだ。

 インドの土産【みやげ】物に、所どころに鏡を象眼した木や布でできた象の置物がある。
 一人ひとりの私たちは、この象の置物に象眼された鏡のようなものかもしれない。
 私たちという一つひとつの鏡は、象の肉体という同じ実体を生きている。けれども、一見、私たちは別の鏡であるようにも見え、実際、別の光景を映し出してもいる。
 けれども実際は、一つひとつの鏡は、同じ象の肉体に貼り付くことによって存在している。同じ象の肉体に繋がることによって、鏡でありえているのだ。
 私たちが見ているのは、同じ象の夢だ。
 いや、“見ている”私たちこそ、同じ象だ。

 ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの『ソラリス』の海は、無心に遊ぶひとりの赤ん坊だった。『ソラリス』の海は、ひたすら模倣するばかりだったが、<意識>の海は、ひたすら歓喜し、創造する。そしてどんな目的にも汚染されない。

 OSHOはいう。
「実在するものすべてはまさに一むれの白雲、根もなく、因果もなく、根源的な原因など一切なくして存在する。神秘として存在する」

「全体は、運命を持たずに存在する。全体はどこに向かって動いているわけでもない。そこにはどんな目的も、ゴールもない」

「目的と共に未来がやってくる。未来と共に時間が現れる」

「恐れとは、目的志向なのだ」と。 (p263-266)

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