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『21世紀への指導原理 OSHO』より

■歩留まりは「個人」でしかない


 どうやら私たちは、第三世界の人たちの飢餓や食肉にされる動物たちの恐怖が、この地球の波動を作ることを意識したくないらしい。それが“自分”という世界そのものを作っていることを理解したくないようだ。  その波動そのものが、何よりも豊かさと相容れないことを理解しない。
 そして、実はそれが私たち個々人の中に、抑圧されたやましさと無感動を生み出していることを意識しない。

 けれども恐らく、「全体」から見たとき、歩留まりはすべて「個人」でしかないのかもしれない。
「個人」以外に現実に存在している者はいないからだ。
「全体」が滅びようとするとき、そこにいっしょに滅びる国家も、政府も、企業もいはしない。
 私たちはその時、“自分”のものなど実は何ひとつなかったことを、はっきりと知ることだろう。
 最後には、すべてが明らかになる。
<意識>の担い手だけが、“死に直面する”のだろう……。

 しかし、そうだとすると、これはいったいどういうことになるのだろう。
 もし、私たち<意識>の担い手だけが“死に直面する”のだとしたら、そしてそれ以外の枠組みはすべて、私たちの頭の中にしか存在しなかった虚構の枠組みとして役割を終えて消滅するだけなのだとしたら、このドラマの全体は、いったいどういうことになるのだろうか。
 それなら、このドラマ全体は、私たち個々の<意識>の担い手のために特別に演出されているのだと考えた方が、むしろ“合理的”ではないのか。
 勇気と、愛と、思いやりと、冒険に満ちたあの幼年の頃の童話の方が、「自由市場」とか「競走原理」とかいう知ったかぶりの“現実”より、実はずっと本当の現実だったのではないか。

 だが、そう言われたからといって、私たちが自分が日々生きている“現実”を変えることなどできるものだろうか。「競争原理」の呪縛から自分を解放できるだろうか。
 不可能ではないだろうが、きわめて難しいだろう。
 では、もう一歩進めて、この呪縛の中で私たちがこのまま従来の意味で“合理的”な経済活動、政治活動を続けて行った場合、この先いったい何が起こるのだろうか。

 考えられることは、おおよそ二つしかない。
 ひとつは、私たち人間が方向転換をしないのだから、この地球は従来の路線をそのままに継続し、地球規模の自殺への道を歩むということだ。つまり地球が、私たち人間の命ずるままを実現しようとして、私たち人間の理解の範囲を超えたトータルな結果をそのままに地上で実現し、それが有機体としての地球の息の根を止めるに至る、と。
 地球は死の星となることだろう。
 地上に意識的生命体は人間しかいなかったのだから、誰もその人間を救うことはできなかった。人間を超えた力はついに現れなかった……、と。
 これも、現時点で充分に考えられるシナリオだ。

 そしてもうひとつは、最後の最後に、これまでの地上の常識では考えることもできなかったような全く新しい力が姿を現し、人間の知能を超えた根源的なバランスからの復元作用が起こる、というシナリオだ。
 この第二のシナリオは、これまでの地上の常識からはありえないようにも見える。
 だが、一概にそう決めつけることもできないようなのだ。
 何故なら、私たちがこれまで見てきたように、私たちというこの<意識>を担った生命体は、どんな物理次元の構造によっても支ええないものだということがもし真実だったら、その意味するところは何やら空恐ろしい、途方もないことともいえるからだ。
 私たちこの地球の人間が、四十六億年の偶然の物質過程が生みだしたものなどではけっしてありえないとしたら、そんな意味での“偶然”など絶対にありえないのだとしたら、それはいったい、どういうことを意味することになるのか。

 それなら、この地球上での生命の進化を誘【いざな】ってきた当体が、<意識>の海の中に存在しなければならないことになるはずだ。
 そして、私たちがこれまで思いめぐらしてきたことは、ひたすら、そうとしか思えないということだったのだ。

 すると、どういうことになるのか。
 地球は、いや「全体」は、私たち一人ひとりの中に生まれるある理解だけを“目指して”、今ぎりぎりのドラマを私たちの眼前に展開しようとしているのではないのか。そしてそのドラマは、私たちの従来の<ソフト>の変更が起こるほどの強烈さで展開しなければならないはずではないのか。その必然性が私たち人間の睡魔を突き通すほどに強烈でもない限り、簡単に<ソフト>の変更など起こるはずはないのだから。

 私たちは、自分が目覚めることを納得するために、どれだけの恐怖を演出しなければならないのだろうか……。 (p349-352)


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