無量永劫の「今」の中で独り遊んでいた大歓喜自在童子が、永劫の今を独りで歓喜しているその遊びの中で、ある新しい遊びを思いついた。 それは、一緒にこの遊びができる仲間があったら面白いかな、ということだった。 すると、どんなことでも思いついたらすぐに実現してしまう大歓喜自在童子は、たちまちもうひとりの大歓喜自在童子を創ってしまっていた。 そうやって、二人の大歓喜自在童子は夢中になって一緒になって遊んでいた。 けれどもすぐに、この二人の大歓喜自在童子は、自分たちがひとりであるのと同じことだということが分かった。なにしろ、二人とも同じだけ自由で、同じだけ全能で、同じように歓喜して遊んでいるだけだったからだ。 そう思ったとたん、二人いた大歓喜自在童子はたちまちひとりになってしまっていた。 そこでひとりになった大歓喜自在童子は、今度は、一緒に遊べるまるで違った仲間があったら面白いかな、と思った。 たちまち、まるで違ったもうひとりの大歓喜自在童子が生まれていた。 二人はそうやって色々遊んだ。 今度出てきた大歓喜自在童子は、最初の大歓喜自在童子とは何から何まで遊び方が違った。けれども、何しろやっぱり大歓喜自在童子ではあったので、いろんな違うやり方で、同じように自分の全能を、歓喜して遊んでいるだけだった。すると何だかそれは、やっぱりひとりで遊んでいるのと同じようでもあった。 そう思ったとたん、二人いた大歓喜自在童子はひとりになってしまっていた。 また独りになった大歓喜自在童子は、今度は独りみたいな気がしても消えてしまわない仲間があったら面白いかな、と思った。 けれども、今度思いついた遊び方は、今まで思いついたのとはちょっと違って、とても難しいことが分かった。というのも、どんな遊び仲間の大歓喜自在童子が生まれてきても、やっぱり独りで遊んでいるような気が一度したら、たちまちその相手の大歓喜自在童子は消えてしまったからだ。なぜかといえば、相手の大歓喜自在童子もやっぱり全知全能で、何もかも分かっていたので、こちらが独りのような気がしたら、もうそれだけでこちらの全知全能を実現してしまうからだった。 それで色々遊び方を工夫しているうちに、大歓喜自在童子は、本当は自分独りで遊んでいるのだと気がついても消えてしまわない仲間を創るというのは、どうやらとても難しいことらしいと気がついた。というのも、自分が気がついてもそのことに気がつかない相手を創るということは、自分の思うようにならない相手を創ることだからだ。 さて、それはとても難しいことのような気がした。 何しろ、大歓喜自在童子には、自分の思うようにならないということがどういうことなのか、どうにもうまく想像できなかったからだ。 けれども大歓喜自在童子にはできないことはなかったから、想像することさえできればそれを創り出せることは分かっていた。 どうやればそんな仲間を創り出すことができるだろう。 大歓喜自在童子は色々に想いを巡らした。 もし創り出した相手が、こちらの全知全能を知らなかったらどうだろう。それともその相手が、自分の全知全能を知らなかったらどうだろう、と。 それは結局同じことかも知れなかった。 とにかくその遊び仲間は、独自の遊び方をするはずだった。独自の道を歩むはずだった。いろんなふうに、思いもよらないやり方で。 けれども、ただひとつこの遊びで肝心な点は、大歓喜自在童子の思うに任せない、大歓喜自在童子の思いからは独立した、本当の遊び仲間がいるということだった……。(p30-32) |