大歓喜自在童子は、自分の思うに任せない仲間を創る遊びに夢中になっていた。 思いついたことはどんなことも実現してしまう大歓喜自在童子は、とうとう思うに任せない仲間を創るという思いつきの核心は、思いがそのまま通らない次元を創り出すということだと気がついた。 それは自分の全知全能を否定する世界を創ることだった。 けれども全知全能の自分に、創れない世界があるはずもなかった。 もし自分の全知全能を否定する世界を創れないのだったら、そんな自分がどうして全知全能だといえるだろう。 全知全能の自分は、その全知全能を否定する世界だって創れるはずだった。 自分は、自分の全知全能を否定することだってできないはずはなかった。 それでこそ、全知全能のはずだ。 いずれにしろ、大歓喜自在童子はこんなに面白い新しい思いつきを途中で止めるつもりなどさらさらなかった。 大歓喜自在童子は、自分の思いを実現するのに、自分の思うようにならない材料を使ってみることを思いついた。つまり、自分の創る世界に自分の思いの不良導体を混ぜることを思いついたのだった。 たちまち、大歓喜自在童子の展開する世界は、これまでに感じたことのないある異様な質感を伴ってくるようだった。もし大歓喜自在童子がそんな言葉を知っていたら、まるで悪夢の世界にさまよい込んだみたいだ、と言ったかもしれない。 一瞬、こんなのはいやだ、と思ったとたん、その異様な質感は即座に消えて、またいつものような自分の自由自在になる世界に戻っていた。 大歓喜自在童子は、自分の思うようにならない世界を創れることを知った。 大歓喜自在童子は、自分がやっぱり全知全能であることを確認したのだ。 大歓喜自在童子は、自分の思いの不良導体を使って自分の思いを実現する新しい遊びに夢中になった。 その思いの不良導体の世界は、大歓喜自在童子が知った新しい次元だった。 その新しい次元は、一種独特の質感と反応速度でもって、大歓喜自在童子の思いを実現するようでもあり、そのままは実現しないようでもあった。 けれどもこの新しい次元でも、大歓喜自在童子はやっぱり全知全能だった。 大歓喜自在童子の全知全能に少しでもひびが入ったわけではなかった。 ただ、自分の全知全能を表現するために、わざと少し不自由な材料を使ってみているだけだったのだ。 すると、その不自由な材料でできた新しい次元は、それなりの独自の質感を持った一種の深い夢のような次元ともいえたし、また言い方によっては、一種の新しい確かさを保証しているようでもあった。 大歓喜自在童子は、新しい仲間を創るためのこの思いの不良導体を「物質」と呼び、「物質」でできた思うに任せないこの新しい次元を「物質次元」と呼ぶことにした。 大歓喜自在童子は、この「物質次元」への仲間の展開という新しい遊びにすっかり夢中になったのだった……。 大歓喜自在童子は、物質が実現する不自由さをこのように実現しようとした。 つまり思いの不良導体である物質は、思いの変化に即座に対応できず、そのズレをそれまでの方向を維持していくことで実現しようというわけだった。 大歓喜自在童子の意図は一瞬一瞬に変化したが、物質次元に実現されたその世界はその即座の変化に対応できず、それまでの動きを維持しながら大まわりで、やっと大歓喜自在童子の意図を追いかけて行くのだった。 この方法は実にうまくいった。 物質世界の中では、大歓喜自在童子の意図とは別個の意図があるかのように、ゆっくりと大きな変化を辿った。(p238-241) |