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       「いのちの祭り2000・地域通貨と共生のコミュニティ」

宇宙芝居:帰還――いのちの祭りへ

(2000年8月1・8―8・9 in 山梨県・清里)       

 今回のここでのテーマは「地域通貨と共生のコミュニティ」と伺っています。
 「地域通貨」「共生」「コミュニティ」、何だか三題噺みたいですが、宇宙芝居までの重層的な意味を込めて、“今回の”イベントの重要なキーワードがすべて埋め込まれているような気がします。

 永遠の今の中で遊んでいても、やはりサイクルというものがあるようです。
 多分、“今回の”サイクルでは、気づきのツールとして「お金」使ってみようね、と私たちはどこかで合意してきたのかもしれません。
 すると、初めは単なる芝居の筋書きにすぎなくても、長い時間の間には、地球人類の大変な自己同化のエネルギーを集中してきたようです。
 私たちはとてつもなく不便な世界を展開してみることで、その不便さの極端から、単純な思いやりの世界への帰還を果たしてみたかったのでしょうか。

 私たちは今、「お金」がないと生きられないと、誰もが多少本気で信じる世界に生きています。現に最近「交通事故死と成人病死の合計を、貧困死が抜いた」という話を耳にしました。
 不謹慎かもしれませんが、私たちは“本気”なわけです。
 この“本気”が紡ぎ出す世界のどん詰まり、その最後のステージの幕開けを、今こうして地球上の全ての魂が肉体化して、全員固唾をのんでを待っているのかもしません。

 “お金がないと生きられない”とはむろん一種の決め事、虚構ですから、お芝居の最後の幕では必ず「真実」が顕われるわけです。
 つまり“お金だけでは生きられない”(「人はパンのみにて生きる者にあらず」)という単純素朴な宇宙の「真実」が顕在化するでしょう。
 その大団円に辿り着くまで、それを人類全員が顕在意識で認知するまで、どれほどの恐怖シーンを自演するかが、まあ、“今回の”お芝居の演者たちの“苦労のし所、見せ所”ということでしょうか。
 宇宙芝居の面白さは、「真実」も「虚構」もすべて実際に存在することです。 「虚構」に沿って演じてはいても、その演技の結果はちゃんと「真実」の世界に現象します。
 私たち地球人類は、今回ひどく母なる地球を疲弊させてしまいました。
 脚本は「虚構」でも、その結果だけは「真実」の世界のことでした。

 「通貨」は、経済社会の“血液”と言われます。
 人間社会という一種の有機体の、エネルギー交換の媒体だからでしょう。
 でも、その「お金」にちょっとした細工が施されていたため、私たちはいつの間にか「お金」に使われ、自分たちの生存基盤である地球を搾取していました。
 そしてついに、なぜかこのままでは人間社会が有機体として機能しえない土壇場まで来てしまいました。
 これまでの資本主義社会で、私たちは地球を資源として扱ってきました。
 資源であることも事実です。でも、地球は私たちの“全身”でもあります。
 もちろん、“全身”をへたらせて“細胞”だけが生き延びることはできません。
 その意味で、私たちは地球生態系の表面に生息する小さな虫でもあります。それぞれに10兆個もの腸内細菌を抱え、その働きによって生存を支えられてもいます。
 地球が死んでも、腸内細菌が死んでも、私たちは生きてはいられません。
 では、生きているのはいったい「誰」なのでしょう。

 地球は、私たちの理解とマナーが成熟するのを待ってくれていたのだとも言えます。
 気がついてみれば、地球の上で「成長サイクル」を歩んでいるのは私たち人類だけでした。傲慢かも知れませんが、私たちは地球生態系の中で生かされながら、しかも管理と運営を任されている代表選手でもありました。
 母なる地球が育んでいた私たちの理解とは、この生態系の中ではすべてが「共生」しているのだということ、すべての“細胞”がその本来の機能を果たさなければ、地球家族は生きられないのだということでした。
 そのためには、誰をも、何をも排除することなく、すべてをそのままに受け入れて、各“細胞”にそれぞれ本来の固有の機能を発揮してもらわなければならない。
 有機体とは、それぞれの部位がその内部で調和的に働いて固有の機能を果たし、それがまた調和的に組合わさって全体を構成し、そうやって生命を保っている存在でした。
 そのことの理解のために、現段階の私たち人類には、有機体の中の自分が属する部位(これを「コミュニティ」という言葉で代表させましょうか)との協調を学ぶのが一番自然であり、そこを素通りはできません。
 そして、完璧な有機体として機能できる段階に達するまでは、自分たちの身の丈にあった「通貨」(エネルギーの交換媒体)を洗練していかなければならないのでしょう。
 そしていつの日か、地球家族が本当の「家族」になったら、今も家庭内では夕ご飯に「お金」を払わないように、「お金」はその役割を終えるのかもしれません。

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