中学生のころ、大発見をしたことがあった。 それは、“この大宇宙の意味は、ひとりの人間の肉体が支えることができる「苦痛」の大きさに等しい”というのだった。 そして、我ながら得意だったのは、それが「人類全体が支える苦痛の総量」ではなく、「ひとりの人間の肉体が支えうる苦痛の大きさ」であることだった。 「苦痛」の足し算はできないという“洞察”が、自分でも上出来なところだった。 最初、本当は、“この大宇宙の意味は、ひとりの人間の肉体が支える「苦痛」の大きさに及ばない”と言い切りたかったのだと思う。けれども、それではいくぶん客観性に欠けるような気がしたのだろう。そして「等しい」という言い回しが、数学的で、きわめて客観的な公理のような姿に見えて気に入ったのだと思う。 多分、“この大宇宙にどれほどの意味があるとしても、ひとりの人間が体験する最大限の肉体的苦痛を正当化できるようなものがあるはずがない”、という気持ちを言葉にしたかったのだと思う。 あまり幸福な哲学ではないようだが、あるいはそのとき、何か特別の「苦痛」を考えさせられるような事態に出会ったのかもしれない。この哲学には、何か「拷問」とでもいったような特別の苦痛に対する想念が入っているような気もする。 子どもの頃から鼻の出が多く、医者に見てもらうと蓄膿症と診断された。 そのとき、「まだ小さいので手術はできないから、大きくなってから手術したらいいでしょう」くらいなことを言われたのだった。 それで、いつかは蓄膿症の手術をしなければならない、と考えるようになっていた。 その手術に対する恐れが、この大哲学になったのかもしれないと思えば、少し恥ずかしいような気もする。 けれども、今思うに、どうもそんなことだったのかもしれない。 というのは、手術台に乗せられて蓄膿症の手術を受けている夢を、そのあと何度となく観ているからだ。この手術の夢は、そのあとで高校生になって実際に蓄膿症の手術をしてからも、何度も観たものだった。 あの大発見をしたと同じころ、最も安楽な自殺方法についてしきりに考えたことがある。 本人が生きることを望まない状態で、なおかつ生きて苦痛を味わわなければならないという状況を想像すると、どうしても納得ゆかないような気がしたからだった。そのとき頭にあったのは、間違いなく、何か「拷問」に掛けられるというような状況だった。 そして、人間はいつでも自分が望むときに、ただちに死ぬことができるべきだ、と思った。 そのとき考えたのは、一本の歯の中に即死できるだけの薬を仕込んでおき、万一の場合は、舌でその歯をひっくり返すと、ただちにその薬品が口の中に溢れて、それで即死できるという方法だった。 いつか連想は広がって、人間はすべて誕生の時にある種の手術を施されていて、本人が本当にそれを望めばほんの微弱な筋肉の動きで自殺できるようになっているべきだ、などと考えた。そしてある年齢で、昔の元服の儀式のように、その体内に施されている装置のこと、またその起動の仕方を知らされるのだ。 今思うと、どうしてこんなに「苦痛」に対する想像力ばかりが発達していたのだろうと思う。 そして後年、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』で次兄イワンが弟のアリョーシャにした、あの“幼児の苦痛”の話を読んだのだった。それは全身が震えるような感動であり、私の全細胞が同意を叫んだ。 おねしょをして折檻された幼児が、押し込められた便所の中で、「神ちゃま」と助けを求めるとき、その幼児の苦痛を正当化できるような神の法則があったとしても、自分にはそんなものは受け入れられない、というあのイワンの言葉に。(p83-86) |