向こうの部屋で鳴り始めたこもったような目覚まし時計の音で、真っ暗な本堂に寝ていた私は布団を跳ねるようにして飛び起きた。 大急ぎで布団を片づけて、外の水場で顔を洗う。 私たちは一言も交わさずに、それぞれの位置で座布 (ザブ) に座った。今日は後の予定があるので、一柱だけ座ることになっていた。 座禅が終わると、まだ暗いうちに朝食を済ませ、朝靄の中を駅に向かった。 私たちとは、堂長の唐子正定師と出家したばかりの慈空さん、それに在家の私の三人だった。私たちはこれから、慈空さんの出家を記念して、唐子師の師匠の兄弟子に当たる小諸の懐古園におられる横山祖道老師を訪ねようとしているのだった。 列車が小諸に到着すると、駅に祖道老師のお弟子の方が迎えにきて下さっていた。 私たちは、その方について祖道老師の居所に向かった。 何を期待していたというのでもないのだが、同行のお二人から特に何も聞かされていなかった私は、懐古園の中の祖道老師が座を占めておられる一隅に突然導かれたときには、言葉には出さぬながらも一瞬、絶句した。 地面の上に直接小さな茣蓙 (ゴザ) を敷いて、その上の座布に座っておられる祖道師の姿は、ありていにいえばまさに乞食以外の何者でもなかったからだ。 私たちを迎えて、日に焼けた顔をにこやかにほころばせた祖道師はすぐに立ち上がり、案内して下さったお弟子さんに指示して、居所の前の七輪を挟んで、向かい側に茣蓙を敷いて私たち三人の席を設けて下さった。 私たちは改めて対座して挨拶を交わした。 七輪で湯を沸かし、正定師がお土産に持参した緑茶をいれて下さる接待ぶりはまことに長閑 (ノドカ) なもので、最初の一瞬の驚きを過ぎると、同行のお二人はいうに及ばず、私も何の違和感も感じずに祖道老師の闊達なお話に聴き惚れていった。 祖道師は、初めて沢木興道老師の許を訪れたときのことを話して下さった。 沢木老師の許に参禅し、自分の師匠はこの人しかいないと決めてから、一度出家の許しを得るために実家に帰ったこと。自分が出家したについては、子どもの頃に母に教わったことが深く頭の中に入っていたことが関係あるように思う、と。 祖道師がまだ本当に小さな子どもだった頃、家が火事になったことがあったのだそうだ。その時、たくさんの野次馬がその火事を見に来た。まだ手押しポンプの消防車の時代で、村の消防団の人たちが懸命に消火活動をするのを見ていたという。 そのとき祖道師のお母さんが、こうしてたくさんの人が来ているけれども、本当に火を消してくれるのは、ああしてちゃんとその装束をしている人だけなのだ、と幼い祖道師に教えてくれたのだという。 それで、沢木老師には、何も出家しなくてもいいと言われたが、自分はお釈迦様の座禅を本当にお守りするのはやっぱり、墨染めの衣というそのための装束を着た者だ、と思って出家したのだと。 それは、出家したばかりの慈空さんに対するはなむけの言葉なのだった。 慈空さんの目に涙が光っているのが分かった。 「ここが、儂 (ワシ) の竜宮なんだよ」という老師の言葉を聴いていると、まさに懐古園のその一隅が、本当に黄金色の夕陽に輝く竜宮であることが、聴いている私たちにも実感されてくるのだった。 老師は、つと手元にある一枚の木の葉を濡らし、唇に当てた。祖道師は懐古園の「草笛禅師」その人でもあった。 老師の口元から響き出す、その一種哀調を帯びた不思議な音色を聴いていると、いつの間にか私の目にも涙が溢れて止まらなかった。(p289-292) |