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『21世紀への指導原理 OSHO』より

舞台裏の独り言O


 二、三人の友だちといっしょに、そのインドの町を歩いていた。
 インドの町は、けたたましい。
 絶え間なく行き交う車や力車。傍若無人のその警笛、その排気ガス。
 埃っぽいこの常夏の国の都会の中で、気が遠くなるような膨大な数の人間たちが、今日も毎日の生活を続けて、ぞろぞろと私たちの目の前を思い思いの方向に移動しているのだった。
 けれども、私たちは違った。
 自分の日常をすべて故郷の町に置いてきた私たちは、この国では何ひとつするべきことを持たなかった。私たちは、たたぶらぶらと辺りを歩き、腹が空けば自分の国では考えられないような安い食事を食べ、ベンチに腰を下ろしては、ただ時間を忘れていれば良かった。私たちは、そのためにわざわざその町まできていたのだ。

 そのとき私たちは、いつもは通らない少し離れた道を歩いていた。
 樹液が路上に垂れてそのまま枝になったような不思議な姿の、インド特有の大きな樹が道中にまではみ出している少し涼しくなった樹の下の道を、私たちは何処へ向かうでもなくぶらぶらと散歩していた。
 いつからか、そんな私たちの前を、数人の子どもたちが後ろ向きになって、私たちの方を見ながら賑やかに歩いていた。
 無論、時々は後ろを振り返って進行方向を見るのだが、器用に私たちの方に手を出しては嬉しそうに「バーバ・バクシーシ」を繰り返していた。
 まるでその子たちに案内されて歩いているような具合の私たちも、何がしかをやらなければならないと義務感を感じることもなく、自分たちのおしゃべりを続けていた。
 その子たちも最初の熱心さを過ぎると、もう「バクシーシ」の方などどうでもいいらしく、みんなでおしゃべりをしながら後ろ向きの歩行を楽しんでいるのだった。

 道がゆるく曲がっている所に差しかかって、車の量が増えてきた。
 私のすぐ前で手を出していた子の後ろに車が近づいてきたので、私は何の気もなく、つと手を出してその子を道路脇に寄せようとした。
 その瞬間の子どもの表情、そして私が何をしようとして手を出したのかを悟った時のその驚いたような表情に、私は一瞬違和感を感じた。
 するとその子は、まるでいっぱしの僧侶に対するように、両手を合わせて私を拝んだのだ……。

 外国人の私たちにとっては、その子たちはただの子どもに過ぎなかったが、その子たちが生きている生活空間では、彼らはハリジャン(不可触賎民)なのだった。

 インドを初めて訪れて経験するあの臭気と汚らしさと貧困には、誰もが衝撃を受けるだろう。
 私も、何という汚い国かと思った。外国人の私たちにとっては、インドそのものが貧しくて、汚い国なのだった。
 けれども、あの国の中には、インドの汚さを自分の汚さとは思っていない人たちもたくさんいるらしいのだった。
 それは、彼ら(ハリジャン)の汚さであって、俺の汚さではない、と。(p363-365)

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